mixiでの事前申請はしたものの、公式サイトでの事前登録は瞬殺でできなかった……。
と、まぁそんな感じで日本での期待も高まるHTML5ですが、日本語の情報ってまだ少ないんだよねぇ、という現実もありまして。
今回、久々に10月29日にアップルストア銀座で開催されたCSS Nite in Ginza, Vol.40に参加して参りました。今回の講演のテーマは例によってHTML5。個人的に(まぁ少しだけは仕事的にも)HTML5に関して色々と気になっていた事や、スピーカーがHTML5関連ではあちこちでお名前をお見かけする矢倉眞隆さんだった事もあって、V-ROCKの辺りからの体調の悪さは相変わらずながら、開始時刻ちょっと過ぎにアップルストアに着。
詳細は後ほど上の公式サイトで上がるようなので特に書きませんが、今回初めて知った事も多くて大変参考になりました。因みに、直前に丁度PublickeyのHTML5関連記事を読んだばかりだったので、IEの対応状況のくだりには失笑。いや、私も敵意はありません、多分。
個人的には、サイトの閲覧の際に、なるべくFlashなどのプラグインをインストールさせたくない──という想いが随分前からあったりします。可能であれば、ブラウザがインストールされた際のデフォルトの設定状態のままで、特に問題なく稼動するサイトを造りたいというか。特に企業などでは社員が勝手にプラグインをインストールする事を禁止している場合も多いでしょうし、殊に仕事で使うサイトであれば(クライアントが企業であれば)、そういった形で縛りを受けない形というのが望ましいであろうと思っています。
そして、HTML5が普及してくれば、プラグインといったものは自ずと衰退していくであろうという予想もありまして、なるべく早い普及を期待していたりするのですが……もっとも、M$は最近になってSilverlightとかの新たな動画用プラグインをリリースしていたりもするし、上で述べたような頓珍漢な発言したりもしているしで、何とも行き先不穏当な部分もあったりして。いや、敵意とかないんですけど。でもなぁ……。
まだまだ、「このタグ本当に実装されるの?」みたいな不安要素も沢山ありますが、なるべく早くHTML5の時代がやってきて欲しいものだ──等と、企業を相手にするサイトばかりを考えていると思ったりする、今日この頃です。いや、まだまだ全然先長そうだけどね……。
2009年10月31日
2009年09月27日
独りで行く京都旅行 〜ややマイナーな新選組ゆかりの地ツアー〜 二日目
初日からの続きです。
二日目は、当初は何となく金閣寺に行こうと思っていたのですよ。何しろ行ったことがなかったし、紅葉が始まってるという噂も目にしていたし。でも、金閣寺の場所を改めて地図で確認すると意外に遠い。その辺りは以前行った事あったんだけど、確かバスがそんなになかったはず……撤収日なのに困ったな、と言うことで。
結局、またしても東山区周辺をうろうろする事に。本当に前日の続きからのスタートとなりました。
まずは京都駅からバスで四条河原町へ行き、四条大橋へ。四条大橋における新選組のエピソードは結構ありますが、個人的には三条大橋にしても四条大橋にしても、佐幕勤皇に拠らず、幕末の志士が乞食紛いの格好をして身を隠している場所──みたいなイメージがあります。これが五条になると、今度は義経と弁慶なんだけどなぁ。(笑)
次に行ったのが、近藤勇も会議で入った事があったという一力亭(東山区花見小路四条下ル)。ここで花見小路に折れてしばし祇園の雰囲気を娯しんだ後、当時の祇園会所──池田屋騒動における重要なポイントとなったローソン(東山区東大路四条西南角)を経て、これまたエピソードの多い八坂神社(東山区祇園町)へ。そうそう、この境内で外国人の女の人(やっぱり一人旅っぽかった)に頼まれて写真を撮りました。向こうは英語でこっちは日本語しか話さなかったけれど、意外に双方の意図って通じるよな、などと改めて思ったり。
さて。八坂神社を経て、今度は高台寺へと向かいます。この辺りは街並みもすっごく良くて、道には花や実物も多く、本当に楽しい道程でした。そしてまずは、新選組と袂を別った御陵衛士屯所跡である月真院(京都府京都市東山区下河原町)へ。こちらは非公開ですが、門の前に御陵衛士屯所跡と書かれた石碑があります。
そして、噎せ返るような金木犀の香りに迎えられながら高台寺境内へ。高台寺では丁度『仏教彫刻展 海老名峰彰展 喜怒哀楽』が開催されていたので、そちらも堪能しつつ、大好きなお庭へ向かいます。ここのお庭は本当に素敵なのです。しかも、お庭のもみじがちょっとだけ紅葉していて、それも良かった。実はここには中学校の修学旅行でも立ち寄ったのですが、当時一緒に行動したグループの中で、満場一致でみんなの感想が良かったのがこの、高台寺だったのでした。良い想い出の多い寺院です。
高台寺拝観後は、洛匠というお店で一休みして、再び八坂神社へ。四条通をお土産をもとめてうろうろしたり、京都っぽい雰囲気を求めて先斗町通に入ったりしつつ、ふと目に留まった瑞泉寺に立ち寄り、余りの暑さに倒れそうになりつつ、再び京都駅へ。
後は食事したりお土産買ったりして時間を潰し、25日の夜に東京へ戻って参りました。
総括。アリプロコンサートと、勝手気ままな新選組ツアーで、とにかくひたすら愉しい旅でした。特に新選組ツアーは、一人じゃないとかなり難しい構成だったので、それが出来たという事自体が嬉しかったですし、道に迷ってる最中でさえ愉しかったです。(笑)
大概の事は都内で事足りしてしまう事もあって、なかなか旅行に行く機会もないのですが、幕末関連でまた一人旅──是非やりたいなぁ、と。
二日目は、当初は何となく金閣寺に行こうと思っていたのですよ。何しろ行ったことがなかったし、紅葉が始まってるという噂も目にしていたし。でも、金閣寺の場所を改めて地図で確認すると意外に遠い。その辺りは以前行った事あったんだけど、確かバスがそんなになかったはず……撤収日なのに困ったな、と言うことで。
結局、またしても東山区周辺をうろうろする事に。本当に前日の続きからのスタートとなりました。
まずは京都駅からバスで四条河原町へ行き、四条大橋へ。四条大橋における新選組のエピソードは結構ありますが、個人的には三条大橋にしても四条大橋にしても、佐幕勤皇に拠らず、幕末の志士が乞食紛いの格好をして身を隠している場所──みたいなイメージがあります。これが五条になると、今度は義経と弁慶なんだけどなぁ。(笑)
次に行ったのが、近藤勇も会議で入った事があったという一力亭(東山区花見小路四条下ル)。ここで花見小路に折れてしばし祇園の雰囲気を娯しんだ後、当時の祇園会所──池田屋騒動における重要なポイントとなったローソン(東山区東大路四条西南角)を経て、これまたエピソードの多い八坂神社(東山区祇園町)へ。そうそう、この境内で外国人の女の人(やっぱり一人旅っぽかった)に頼まれて写真を撮りました。向こうは英語でこっちは日本語しか話さなかったけれど、意外に双方の意図って通じるよな、などと改めて思ったり。
さて。八坂神社を経て、今度は高台寺へと向かいます。この辺りは街並みもすっごく良くて、道には花や実物も多く、本当に楽しい道程でした。そしてまずは、新選組と袂を別った御陵衛士屯所跡である月真院(京都府京都市東山区下河原町)へ。こちらは非公開ですが、門の前に御陵衛士屯所跡と書かれた石碑があります。
そして、噎せ返るような金木犀の香りに迎えられながら高台寺境内へ。高台寺では丁度『仏教彫刻展 海老名峰彰展 喜怒哀楽』が開催されていたので、そちらも堪能しつつ、大好きなお庭へ向かいます。ここのお庭は本当に素敵なのです。しかも、お庭のもみじがちょっとだけ紅葉していて、それも良かった。実はここには中学校の修学旅行でも立ち寄ったのですが、当時一緒に行動したグループの中で、満場一致でみんなの感想が良かったのがこの、高台寺だったのでした。良い想い出の多い寺院です。
高台寺拝観後は、洛匠というお店で一休みして、再び八坂神社へ。四条通をお土産をもとめてうろうろしたり、京都っぽい雰囲気を求めて先斗町通に入ったりしつつ、ふと目に留まった瑞泉寺に立ち寄り、余りの暑さに倒れそうになりつつ、再び京都駅へ。
後は食事したりお土産買ったりして時間を潰し、25日の夜に東京へ戻って参りました。
総括。アリプロコンサートと、勝手気ままな新選組ツアーで、とにかくひたすら愉しい旅でした。特に新選組ツアーは、一人じゃないとかなり難しい構成だったので、それが出来たという事自体が嬉しかったですし、道に迷ってる最中でさえ愉しかったです。(笑)
大概の事は都内で事足りしてしまう事もあって、なかなか旅行に行く機会もないのですが、幕末関連でまた一人旅──是非やりたいなぁ、と。
2009年09月26日
独りで行く京都旅行 〜ややマイナーな新選組ゆかりの地ツアー〜 初日
コンサートで大阪行くなら有給取って京都も寄ってこよ。
とか思ったのは、多分チケットが確保できた直後だったと思うのだけど。
そんな理由で、京都に一人旅と洒落込んで来ましたよ。
京都の一人旅とくれば、もう誰にも遠慮せずマイナーな新選組ツアー。これに限ります。私は、中学校も高校も京都への修学旅行だったのだけど、やっぱり色々難しいんですよ、人数多いと。新選組に興味ない人だっていっぱいいるし、新選組ゆかりの地ってのは、神社仏閣や城とは限らない訳ですからね。その殆どが単なる道端だったりするから。
それに、新選組というのは、京都の町中でばっさばっさと人斬りまくった訳ですよ。しかもそれって、まだ150年くらい前の話だから、今の御年寄りの方々とかは、親とかに当時の事色々と聞いてたりもするでしょうし。それを思えば新選組関連の史跡なんて、京都の他の史跡と較べれば冷遇されていて当然の話で。そういう事情も相まって、新選組関連の史跡は現場に何も残ってなかったり、目立たなかったりしてるのが普通な訳です。だから、もう新選組に興味が無い人にとっては全く以って面白くない旅になっちゃう。これは申し訳ないですよ。いざ道端に立ったところで、面白がってるのは私だけ、他の人は「だから何?」状態だもん。
高校の時一度やってすっごい後悔した。ごめん、当時の人。
ので、今回は思いっ切り新選組ファンしか面白くない旅をしてきました。参考にしたのはe京都ねっとさん。
ついでに前置きしておくと、今回(に限らず)写真は1枚もありません。旅行で「写真を撮る」という行為を随分前から辞めています。(誰か別のヒトが撮る時は全然一緒に写るけど。)なんか写真撮ると忘れるんですよね、その時の事を。
例えば、難しい計算する場合って、自分で暗算するより関数電卓でやる方が速い──という事で、内部での処理の一部を外出ししてる訳ですが、そうすると学校で習ったような複雑な計算方法(計算のプロセスというか、ディティールというか)、忘れません? どうも私の場合、写真を撮る事によってそれと似たような現象起こしてるっぽんですよね。写真を撮るという行為をする事で、その観光地での印象が残ってないというか……写真を撮る事に終始してしまって、全体の記憶がボケるというか。もしくは、写真を撮るという外部処理を利用した記録行為によって、自ら記憶しようとする処理を自ずと放棄しているのか……。ので、辞めました。今は文字で出力する方向で実験中。
で、本題。
コンサートへの移動の都合上、京都駅から近いホテルに宿泊していたので、24日の朝は不動堂明王院から「ややマイナーな新選組ゆかりの地ツアー」を開始しました。
不動堂明王院(下京区油小路塩小路下ル南不動堂町)は、新選組最後の屯所があったとされる不動堂村の名前の由来となった寺院で、道祖神社と隣接してます。因みに私が宿泊したホテルの真裏。(笑)
この、新選組の最後の屯所があった場所というのは「堀川の東、木津屋橋の南」というだけではっきりしていないらしいのですが、一応、今のリーガロイヤルホテル(下京区堀川通塩小路)の辺りと言われてるとか。
んでもって、このリーガロイヤルホテルを左手に堀川通を上って行くと、やっぱり左手に校舎が見えてきます。安寧小学校(下京区堀川通七条下ル)と言うらしい。ここが近藤勇の妾宅。住んでいたのは勿論、深雪太夫です。
ここで堀川通りから一本入って油小路へ。本光寺(非公開)の門の前にひっそりと「伊東甲子太郎他数名殉難の地」碑(下京区油小路通木津屋橋上ル)があります。そのまま七条通まで出たところが油小路七条の辻(下京区油小路七条)。伊東甲子太郎の遺体が囮として晒された場所です。所謂「油小路の変」の現場。勿論、この辻にはそれらしき標識は何もありません。日常生活の雰囲気が漂う、すっごく普通の十字路です。でも、現代風に言えば死体遺棄現場だもんね。そんな標識あっても普通に厭だ。
更に、七条通を渡って北小路まで出たところが北小路の変跡(下京区油小路北小路)。天満屋事件の際、誤って同士討ちがあったという場所です。勿論、何も標識はありません。(そんなのばっか。)とは言え、当の天満屋事件跡については石碑があるという事で、油小路沿いを頑張って捜してみたのですが……こちらは見つからず。何でだ。
そうこうしている内に、西本願寺の正門が視界に入ってしまったので、諦めて西本願寺へ。西本願寺(下京区堀川花屋町下ル)は大きなお寺さんなので、普通に拝観してもとても愉しいです。が、ここで重要なのは境内にある太鼓楼です。新撰組屯所跡で当時のまま残ってる建物は、西本願寺内ではこれだけだそうです。
次に脚を運んだのは、西本願寺裏手にある島田魁が住んでいたとされる辺り(下京区大宮旧丹波口下ル)。e京都ねっとを確認する限り、戸籍上この辺りに住んでいたらしい。すっごい細道です。
さて。
ここまではトントン拍子で来ましたが、ここからは結構距離が出てきます。歩ける範囲だけど、24日は相当暑かったんだよね……。
次に辿りついたのは島原大門(下京区大門通花屋町)。因みにこの辺りから、「呼び名は『島原』なのに、住所は西屋敷中之町」という不思議なエリアに入る事や、京都駅の観光案内所でもらえる『京都散策物語』というリーフレットの地図から外れてしまう事もあり、勘で歩いていく事になります。
しかしまぁ、何とかなるもんです。
島原大門辺りまで来ると、すれ違う人々が来た道をそのまま適当に歩いているだけで、小説『輪違屋糸里』でも有名な輪違屋(下京区西屋敷中之町114)やら、芹沢鴨が暗殺前にがっつり酒を呑まされたので有名な角屋(下京区西屋敷揚屋町32)が見つかるのです。やっぱ凄いよ新選組。マイナーマイナーと言いつつ、新選組ファンの間では全くマイナーじゃないんだね、この辺りも。ま、それでも角屋の紹介板には新選組の事ってさっぱり触れられてないですが。
角屋は現在、角屋もてなしの文化美術館になっています。リンク先にもありますが、開館期間が限定されているので注意です。昔の建物をそのまま使っているので空調設備が整っていない(一部整ってる部屋もある)為、真夏と真冬は閉館してしまうんですね。でも、ここはガイドの方が色々と説明してくださって大変面白かったです。「島原」という地名の起源(同時代に起こった『島原の乱』から取ったものだそうで、元の地名とは全く関係ないらしい。)から、設備の特徴まで詳しく説明して戴けたし、一緒に説明を聞いた方がやっぱり新選組関連施設を廻っていた事もあり、凄く盛り上がりました。愉しかった。
新選組記念館(下京区五条通坊城下ル)は予約をしていなかったので、前を素通り。(何となく予約なしでも入って良さそうな雰囲気もあったんだけど、前にも書いたとおり、地図がなかったので勘で歩いていて、次の目的地までの時間が予測できなかったので、それもあって諦めた。)
次の目的地はメジャーどころの壬生寺(中京区坊城仏光寺北入ル)です。この辺りのエリアに入ると、リーフレットにもまた復活してくる。(笑)しかも、近所の交番に行き方の説明図が張り出してあったりもして、驚くほど迷いませんでした。(笑)壬生寺の境内には壬生塚があって、新選組隊士の墓所となっています。壬生塚は拝観料がかかりますが、大した額じゃないです。
そして、傍にある八木邸(京都市中京区壬生梛ノ宮町24)へ。ここでもガイドの方が当時の事を詳しく説明してくださいます。また、新選組関連の御土産を求めるようであれば、八木家の御茶屋さん京都鶴屋さんか、この近辺のお店で買い求めるのが吉。新選組関連の御土産って本当にないのです。帰りに京都駅で余りにも新選組関連の御土産(食べ物とかお酒ね)がなくて泣いた……。でも、この時は徒歩の旅だった事もあって、手荷物増やしたくなかったんだよね。
そして旧前川邸(中京区壬生賀陽御所町39)。こちらは非公開ですので外から観るだけ。そのまま、光縁寺(下京区綾小路通大宮西入ル)へ向かいます。光縁寺も拝観料がかかりますが、こちらは御住職がざっと新選組のお墓について説明してくださいます。因みに、ただの見学はお断りだそうです。そりゃそうだよね、お墓だもん。
24日の自分的ノルマはここまでだったのですが、この時点で14時半を過ぎていたのでとりあえずランチ。手持ちのネットブック(これが重かったんだよな)で何処に行くか検討。結局三条河原まで行く事に。交通手段は電車です。
三条大橋に着いたのが16時半ちょっと前。橋の下で一休みです。でも、この辺りに近藤勇の頸が晒されてた訳ですね……。
でもって、何度も来ている池田屋騒動跡……というか今は海鮮茶屋 池田屋 はなの舞(中京区河原町三条東入ル)──ちょっとどうかとも思うけど、今まで観た中で一番マシな扱いであるという現実。でもまぁ何度も言いますが、現代風に言うとここって殺人現場ですからね。この扱いは感謝すべきところですよ。そして、この池田屋騒動の時に土方隊が向かったという四国屋・丹虎、現在の金茶寮(中京区木屋町通三条上ル)へ。
24日はここまでで脚が限界になり、ホテルへ戻る事に。次の日に続く。
とか思ったのは、多分チケットが確保できた直後だったと思うのだけど。
そんな理由で、京都に一人旅と洒落込んで来ましたよ。
京都の一人旅とくれば、もう誰にも遠慮せずマイナーな新選組ツアー。これに限ります。私は、中学校も高校も京都への修学旅行だったのだけど、やっぱり色々難しいんですよ、人数多いと。新選組に興味ない人だっていっぱいいるし、新選組ゆかりの地ってのは、神社仏閣や城とは限らない訳ですからね。その殆どが単なる道端だったりするから。
それに、新選組というのは、京都の町中でばっさばっさと人斬りまくった訳ですよ。しかもそれって、まだ150年くらい前の話だから、今の御年寄りの方々とかは、親とかに当時の事色々と聞いてたりもするでしょうし。それを思えば新選組関連の史跡なんて、京都の他の史跡と較べれば冷遇されていて当然の話で。そういう事情も相まって、新選組関連の史跡は現場に何も残ってなかったり、目立たなかったりしてるのが普通な訳です。だから、もう新選組に興味が無い人にとっては全く以って面白くない旅になっちゃう。これは申し訳ないですよ。いざ道端に立ったところで、面白がってるのは私だけ、他の人は「だから何?」状態だもん。
高校の時一度やってすっごい後悔した。ごめん、当時の人。
ので、今回は思いっ切り新選組ファンしか面白くない旅をしてきました。参考にしたのはe京都ねっとさん。
ついでに前置きしておくと、今回(に限らず)写真は1枚もありません。旅行で「写真を撮る」という行為を随分前から辞めています。(誰か別のヒトが撮る時は全然一緒に写るけど。)なんか写真撮ると忘れるんですよね、その時の事を。
例えば、難しい計算する場合って、自分で暗算するより関数電卓でやる方が速い──という事で、内部での処理の一部を外出ししてる訳ですが、そうすると学校で習ったような複雑な計算方法(計算のプロセスというか、ディティールというか)、忘れません? どうも私の場合、写真を撮る事によってそれと似たような現象起こしてるっぽんですよね。写真を撮るという行為をする事で、その観光地での印象が残ってないというか……写真を撮る事に終始してしまって、全体の記憶がボケるというか。もしくは、写真を撮るという外部処理を利用した記録行為によって、自ら記憶しようとする処理を自ずと放棄しているのか……。ので、辞めました。今は文字で出力する方向で実験中。
で、本題。
コンサートへの移動の都合上、京都駅から近いホテルに宿泊していたので、24日の朝は不動堂明王院から「ややマイナーな新選組ゆかりの地ツアー」を開始しました。
不動堂明王院(下京区油小路塩小路下ル南不動堂町)は、新選組最後の屯所があったとされる不動堂村の名前の由来となった寺院で、道祖神社と隣接してます。因みに私が宿泊したホテルの真裏。(笑)
この、新選組の最後の屯所があった場所というのは「堀川の東、木津屋橋の南」というだけではっきりしていないらしいのですが、一応、今のリーガロイヤルホテル(下京区堀川通塩小路)の辺りと言われてるとか。
んでもって、このリーガロイヤルホテルを左手に堀川通を上って行くと、やっぱり左手に校舎が見えてきます。安寧小学校(下京区堀川通七条下ル)と言うらしい。ここが近藤勇の妾宅。住んでいたのは勿論、深雪太夫です。
ここで堀川通りから一本入って油小路へ。本光寺(非公開)の門の前にひっそりと「伊東甲子太郎他数名殉難の地」碑(下京区油小路通木津屋橋上ル)があります。そのまま七条通まで出たところが油小路七条の辻(下京区油小路七条)。伊東甲子太郎の遺体が囮として晒された場所です。所謂「油小路の変」の現場。勿論、この辻にはそれらしき標識は何もありません。日常生活の雰囲気が漂う、すっごく普通の十字路です。でも、現代風に言えば死体遺棄現場だもんね。そんな標識あっても普通に厭だ。
更に、七条通を渡って北小路まで出たところが北小路の変跡(下京区油小路北小路)。天満屋事件の際、誤って同士討ちがあったという場所です。勿論、何も標識はありません。(そんなのばっか。)とは言え、当の天満屋事件跡については石碑があるという事で、油小路沿いを頑張って捜してみたのですが……こちらは見つからず。何でだ。
そうこうしている内に、西本願寺の正門が視界に入ってしまったので、諦めて西本願寺へ。西本願寺(下京区堀川花屋町下ル)は大きなお寺さんなので、普通に拝観してもとても愉しいです。が、ここで重要なのは境内にある太鼓楼です。新撰組屯所跡で当時のまま残ってる建物は、西本願寺内ではこれだけだそうです。
次に脚を運んだのは、西本願寺裏手にある島田魁が住んでいたとされる辺り(下京区大宮旧丹波口下ル)。e京都ねっとを確認する限り、戸籍上この辺りに住んでいたらしい。すっごい細道です。
さて。
ここまではトントン拍子で来ましたが、ここからは結構距離が出てきます。歩ける範囲だけど、24日は相当暑かったんだよね……。
次に辿りついたのは島原大門(下京区大門通花屋町)。因みにこの辺りから、「呼び名は『島原』なのに、住所は西屋敷中之町」という不思議なエリアに入る事や、京都駅の観光案内所でもらえる『京都散策物語』というリーフレットの地図から外れてしまう事もあり、勘で歩いていく事になります。
しかしまぁ、何とかなるもんです。
島原大門辺りまで来ると、すれ違う人々が来た道をそのまま適当に歩いているだけで、小説『輪違屋糸里』でも有名な輪違屋(下京区西屋敷中之町114)やら、芹沢鴨が暗殺前にがっつり酒を呑まされたので有名な角屋(下京区西屋敷揚屋町32)が見つかるのです。やっぱ凄いよ新選組。マイナーマイナーと言いつつ、新選組ファンの間では全くマイナーじゃないんだね、この辺りも。ま、それでも角屋の紹介板には新選組の事ってさっぱり触れられてないですが。
角屋は現在、角屋もてなしの文化美術館になっています。リンク先にもありますが、開館期間が限定されているので注意です。昔の建物をそのまま使っているので空調設備が整っていない(一部整ってる部屋もある)為、真夏と真冬は閉館してしまうんですね。でも、ここはガイドの方が色々と説明してくださって大変面白かったです。「島原」という地名の起源(同時代に起こった『島原の乱』から取ったものだそうで、元の地名とは全く関係ないらしい。)から、設備の特徴まで詳しく説明して戴けたし、一緒に説明を聞いた方がやっぱり新選組関連施設を廻っていた事もあり、凄く盛り上がりました。愉しかった。
新選組記念館(下京区五条通坊城下ル)は予約をしていなかったので、前を素通り。(何となく予約なしでも入って良さそうな雰囲気もあったんだけど、前にも書いたとおり、地図がなかったので勘で歩いていて、次の目的地までの時間が予測できなかったので、それもあって諦めた。)
次の目的地はメジャーどころの壬生寺(中京区坊城仏光寺北入ル)です。この辺りのエリアに入ると、リーフレットにもまた復活してくる。(笑)しかも、近所の交番に行き方の説明図が張り出してあったりもして、驚くほど迷いませんでした。(笑)壬生寺の境内には壬生塚があって、新選組隊士の墓所となっています。壬生塚は拝観料がかかりますが、大した額じゃないです。
そして、傍にある八木邸(京都市中京区壬生梛ノ宮町24)へ。ここでもガイドの方が当時の事を詳しく説明してくださいます。また、新選組関連の御土産を求めるようであれば、八木家の御茶屋さん京都鶴屋さんか、この近辺のお店で買い求めるのが吉。新選組関連の御土産って本当にないのです。帰りに京都駅で余りにも新選組関連の御土産(食べ物とかお酒ね)がなくて泣いた……。でも、この時は徒歩の旅だった事もあって、手荷物増やしたくなかったんだよね。
そして旧前川邸(中京区壬生賀陽御所町39)。こちらは非公開ですので外から観るだけ。そのまま、光縁寺(下京区綾小路通大宮西入ル)へ向かいます。光縁寺も拝観料がかかりますが、こちらは御住職がざっと新選組のお墓について説明してくださいます。因みに、ただの見学はお断りだそうです。そりゃそうだよね、お墓だもん。
24日の自分的ノルマはここまでだったのですが、この時点で14時半を過ぎていたのでとりあえずランチ。手持ちのネットブック(これが重かったんだよな)で何処に行くか検討。結局三条河原まで行く事に。交通手段は電車です。
三条大橋に着いたのが16時半ちょっと前。橋の下で一休みです。でも、この辺りに近藤勇の頸が晒されてた訳ですね……。
でもって、何度も来ている池田屋騒動跡……というか今は海鮮茶屋 池田屋 はなの舞(中京区河原町三条東入ル)──ちょっとどうかとも思うけど、今まで観た中で一番マシな扱いであるという現実。でもまぁ何度も言いますが、現代風に言うとここって殺人現場ですからね。この扱いは感謝すべきところですよ。そして、この池田屋騒動の時に土方隊が向かったという四国屋・丹虎、現在の金茶寮(中京区木屋町通三条上ル)へ。
24日はここまでで脚が限界になり、ホテルへ戻る事に。次の日に続く。
2009年07月05日
ネットに繋がなければ、ネットワークの設定方法は解らない。
先週、用があって実家に戻ったところ、実家PCがリカバリされていた。といっても、どうやら業者を呼んで設定し直してもらったようで、きちんとパーティションが区切ってあって、そこに必要なデータのバックアップはしっかり残っていたし、ネットワーク設定なども以前のままになっていた──が、案の定、私が勝手に突っ込んでおいた怪しいモノ(別に怪しくないんだけど、まぁ普通は知らなければ導入しないようなアプリケーションとか)は全く以って消えていた。まぁ、これと言った支障はないものの、矢張り実家に帰った時には便利に使いたい──。
ので、ネットから色々と落として来ようと思い、まずは(念の為)何故かデフォルト設定が無効になっていたウィルスチェックをかけた──ところ、3000ファイルくらいがマルウェア感染していた。即効駆除。
ここで怪しいと思った私は、各種のセキュリティ設定を変更。60個くらいあった未適用のセキュリティパッチをインストールしようと、ダウンロードを開始……してみたのだが、何故かネットワークが切断。
不思議に思い再起動してみたものの、これまた繋がったり、繋がらなかったり。
ルータの設定画面に入って接続をリトライすると、とりあえず一旦は繋がる。が、ふとした瞬間に切断される。セキュリティパッチを落としてくる間に切断されるから、いつまで経ってもパッチのインストールが完了しない。セキュリティがぐだぐだなままだから、矢鱈滅多にネットに繋ぐ事もままならず、次の作業に移れない。
接続設定に間違いはない。というか、変わってない。無線LANでもないから、遮蔽物云々の問題でもない。切断から復帰までは5分くらい。でも、「よし、繋がった」と思ってセキュリティパッチのダウンロードを始めると一瞬にして再切断──の繰り返しが続く。
しかしこの間、モデムのランプもルータのランプも全く異常を示さない。諸々の電源を切ってケーブルを接続しなおしてみても、この駄目な接続状態はまったく改善されない。
うんざりしつつも、途中からはルータのファームウェアのステータス画面を開きっぱなしにして作業してたんだけど、とにかく「PPPoEの認証に失敗」といったエラーが出まくる。しかし、PPPoEに失敗と言われても接続設定は変更してないし、そもそも一旦は繋がるのだから、何も間違っていない訳で……何に失敗するのか、意味が解からない。ステータス画面を凝視するに、ローカルのLANの方はそれっぽい値が入っている。しかし、WAN側の方は各種アドレスが全く宛がわれていない。
ISPでのネットワーク接続とフレッツスクウェアへのネットワーク接続、切断される時は同時。でも、復帰するタイミングはまちまち……。
さて、ここまで来て選択肢は3つ。
1)NTT様が提供しているネットワークが駄目。
2)NTT様からお借りしているモデム(もう随分前から使ってる。)が駄目。
3)自分が買ってきた I-O DATA のルータ(6年以上は使ってる)が駄目。
という訳で、まず(1)を確かめるべくNTTの故障サービスに電話してみた(注:当然だがISPとフレッツ公式は事前にチェック済みで、異常がない旨は確認済み)ところ、こちらは異常なし。ついでに暫くはログも監視してもらえる事になった。
ここで(1)の選択肢が消える。
次に、ネットワークを繋ぎ変え、ルータをネットワークから排除。その上で、NTT様から送られてきたモデムにくっついていたフレッツ接続ツールをインストールしてみた──ら、正常に繋がった……。
という訳で、原因は(3)のルータであった事が判明。
しかし、今のところ実家には1台しかPCがないので、暫くはルータも必要ない訳で。
まぁ、お陰でセキュリティパッチも全部インストールし終わったし、めでたしめでたし? けどさ、こうやって書いちゃうと簡単だけど、これ全部解決するのに10日間くらいかかってるんだよなぁ。(実家とマンション行き来しなければならない為)
色々な機器を繋いでいればいる程、どこが原因かってなかなか判らない。これって、いつかは解消するんだろうか。なんか……まだまだ酷くなりそうな気がするんだけど。ネットワーク状態が良くなればなるほど、原因を掴むのって難しくなるんじゃなかろうか。というより、これを利用した犯罪とかも起きる気がする。
何事も、いつかは改善されるんだろうけど。でもそのいつかは、まだ遠そうだ。
ので、ネットから色々と落として来ようと思い、まずは(念の為)何故かデフォルト設定が無効になっていたウィルスチェックをかけた──ところ、3000ファイルくらいがマルウェア感染していた。即効駆除。
ここで怪しいと思った私は、各種のセキュリティ設定を変更。60個くらいあった未適用のセキュリティパッチをインストールしようと、ダウンロードを開始……してみたのだが、何故かネットワークが切断。
不思議に思い再起動してみたものの、これまた繋がったり、繋がらなかったり。
ルータの設定画面に入って接続をリトライすると、とりあえず一旦は繋がる。が、ふとした瞬間に切断される。セキュリティパッチを落としてくる間に切断されるから、いつまで経ってもパッチのインストールが完了しない。セキュリティがぐだぐだなままだから、矢鱈滅多にネットに繋ぐ事もままならず、次の作業に移れない。
接続設定に間違いはない。というか、変わってない。無線LANでもないから、遮蔽物云々の問題でもない。切断から復帰までは5分くらい。でも、「よし、繋がった」と思ってセキュリティパッチのダウンロードを始めると一瞬にして再切断──の繰り返しが続く。
しかしこの間、モデムのランプもルータのランプも全く異常を示さない。諸々の電源を切ってケーブルを接続しなおしてみても、この駄目な接続状態はまったく改善されない。
うんざりしつつも、途中からはルータのファームウェアのステータス画面を開きっぱなしにして作業してたんだけど、とにかく「PPPoEの認証に失敗」といったエラーが出まくる。しかし、PPPoEに失敗と言われても接続設定は変更してないし、そもそも一旦は繋がるのだから、何も間違っていない訳で……何に失敗するのか、意味が解からない。ステータス画面を凝視するに、ローカルのLANの方はそれっぽい値が入っている。しかし、WAN側の方は各種アドレスが全く宛がわれていない。
ISPでのネットワーク接続とフレッツスクウェアへのネットワーク接続、切断される時は同時。でも、復帰するタイミングはまちまち……。
さて、ここまで来て選択肢は3つ。
1)NTT様が提供しているネットワークが駄目。
2)NTT様からお借りしているモデム(もう随分前から使ってる。)が駄目。
3)自分が買ってきた I-O DATA のルータ(6年以上は使ってる)が駄目。
という訳で、まず(1)を確かめるべくNTTの故障サービスに電話してみた(注:当然だがISPとフレッツ公式は事前にチェック済みで、異常がない旨は確認済み)ところ、こちらは異常なし。ついでに暫くはログも監視してもらえる事になった。
ここで(1)の選択肢が消える。
次に、ネットワークを繋ぎ変え、ルータをネットワークから排除。その上で、NTT様から送られてきたモデムにくっついていたフレッツ接続ツールをインストールしてみた──ら、正常に繋がった……。
という訳で、原因は(3)のルータであった事が判明。
しかし、今のところ実家には1台しかPCがないので、暫くはルータも必要ない訳で。
まぁ、お陰でセキュリティパッチも全部インストールし終わったし、めでたしめでたし? けどさ、こうやって書いちゃうと簡単だけど、これ全部解決するのに10日間くらいかかってるんだよなぁ。(実家とマンション行き来しなければならない為)
色々な機器を繋いでいればいる程、どこが原因かってなかなか判らない。これって、いつかは解消するんだろうか。なんか……まだまだ酷くなりそうな気がするんだけど。ネットワーク状態が良くなればなるほど、原因を掴むのって難しくなるんじゃなかろうか。というより、これを利用した犯罪とかも起きる気がする。
何事も、いつかは改善されるんだろうけど。でもそのいつかは、まだ遠そうだ。
2009年06月14日
Windouz XP SP3 を導入してしまった……。
最近ついぞ Windouz Update をかけていなかったのですが、セキュリティホールが気になっていた事もあり、リリースから1年以上が経過している事もあり──という訳で、先月の23日に、Windouz XP SP3 を導入してしまった。
因みに今メインで稼動しているのは、2004年の初め頃に某まっちゃん氏に自作してもらったデスクトップPC。と言っても、当時は初任給で購入したポリタンク型のPower Mac G3 300(最早懐かしい。)をメイン機として稼動させていたので、この窓魔神が完全にメインPCに昇格したのは3年くらい前の話だ。でも、サブ機の時期も含めれば、もうかれこれ5年は使っている勘定ながら、特にこれといった不具合もなく、当時の最高スペックで造ってもらった事や、まっちゃん氏の諸々の設定やプリインストールの工夫のお陰もあって、非常に便利に動かしていたのである。先月の23日までは。
異変に気付いたのは、5月30日の土曜日。27日に買ったアルバム、『Ken's Bar II』をiTuneに導入しようと思ってCD-ROMドライブにCDを突っ込んだのだけど……これが認識せず。エクスプローラ上ではドライブ自体はちゃんとあるんだけど、中身が空っぽ。読み込んでる音も全くせず、稼動を示すランプも点灯しない。
「あれ、レンズ全然掃除してないから認識できなくなっちゃったか?」と思い翌日に強力なクリーナーを購入して試してみたのだけれど、やっぱり症状は変わらず。
ここで初めて「もしかして SP3 が不味かったんじゃ……」などと思い至る訳だけど、まぁこの手のトラブルの修復方法はネット上にも沢山転がっているものだ。DVD/CD-ROMドライブが稼動しない訳だから、デバイスマネージャからDVD/CD-ROMドライブのデバイスを削除してみたり、レジストリを削除してみたり(「Upperfilters」と「Lowerfilters」を削除して再起動する事で復帰するといった内容の記述がMSのオンラインサポートにもあるのだ)と、まぁ簡単にできる事は一通りやってみた。因みに削除したレジストリは中途半端にしか復帰しなかったので、削除前にとってあったバックアップから復元したりもした。しかし、普通であれば必要に応じて自動で再構成されるレジストリが、何をやっても中途半端にしか復帰しなかった時点で相当に怪しい──という現実から目を逸らしたまま、私は更なる葛藤を続ける事になる。
とは言え、この作業を行った事で、CDは認識できないものの、DVDは認識できるようになった──のである。なので、iTuneへの曲のインポートは後回しにして件のアルバムに同梱されていたDVDを観ようと、DVDからRealPlayerを起動──したところ、「ドライバを更新しろ」といった内容のエラー画面が出て、RealPlayerの方が半強制的に終了してしまった。でも、光学メディア読み込み用のドライバってリカバリ用のOSのCDの中か、DVD/CD-ROMドライブにくっついてきた標準のドライバCDの中だよね?──って、だからCD-ROMドライブが認識できないのだと言っておろうが。
ともあれ、HDD内の動画はRealPlayerで再生できるし、コーデック不要のプレイヤではDVDの方も問題なく再生できた。そこで導き出した仮定としては、SP3導入時にアプリケーションやらコーデックやらが駄目になったのかな、と。という訳で6月2日、今度は諸々のコーデックを幾つか最新にアップデート。ついでにRealPlayerをアンインストールして最新版をインストールし直した。
結果。
RealPlayerが起動した段階で、今度は「DVD のコピー保護用キーの交換に失敗しました。」といった内容のエラーが表示されて、今度こそ半どころか本格的に強制終了してしまうようになったのである。
ひたすら治らない。
しかも、そんな事を繰り返している内に、何故かその内CDも認識し始めるようになったのだが、これまた1枚のCDを認識するまでに5分くらいかかるのだ。しかも、凄い怪しい読み込み音を立てて。怪訝しい。
しかし、原因がコーデックでもないならDVDの再生には別途専用のソフトを買ってきて復帰するのが一番速そうである。そもそもCDの読み込みが怪しいとなると、iPodに音楽を入れるのも一苦労必要だし、ここはもう新しい光学メディア用のドライブを購入するのが速かろう。
という事で諦めて、3日に外付けのDVD/CD-ROMドライブを購入したのだが……。
DVD再生用にWinDVD8をインストールを試みたところ、エラーが18件ほど出て失敗。
丹念にエラー内容をチェックするに、PassThoughDMO.dllとかSharpness.dllとか、DLLの登録に失敗しまくっている。エラー内容からググった感じでは、グラフィックボードが古いと、こういった登録エラーが出るらしい。という事で、6日にデバイスマネージャのディスプレイアダプタを参照してみたところ、まぁ結構旧いバージョンのようだったので、グラフィックボードのドライバをアップデートして、再びWinDVDをインストールしなおしてみたのだが──やっぱり同様のエラーが出てインストール失敗。
WinDVDを出しているコーレル公式を覧ると、IVIVIDEO.axの登録エラーに対してはDirectXの更新が有効だと出ていたので、(IVIVIDEO.axの登録エラーも当然出ていた事から)DirectXも更新できうる一番最新のバージョンに更新してみた。
が、やっぱり治らない。
一応、外付けのDVD/CD-ROMドライブで現状は凌げてはいるけれど、これはもうOSからインストールし直すしかないのか? しかしそれじゃあ1日がかりの作業じゃないか。コミケ前にそれはちょっと。う〜ん、兼々ノートPC購入の野望はあったけど、このタイミングで購入って手もありなのか? どうする私? どうするのよ?
因みに今メインで稼動しているのは、2004年の初め頃に某まっちゃん氏に自作してもらったデスクトップPC。と言っても、当時は初任給で購入したポリタンク型のPower Mac G3 300(最早懐かしい。)をメイン機として稼動させていたので、この窓魔神が完全にメインPCに昇格したのは3年くらい前の話だ。でも、サブ機の時期も含めれば、もうかれこれ5年は使っている勘定ながら、特にこれといった不具合もなく、当時の最高スペックで造ってもらった事や、まっちゃん氏の諸々の設定やプリインストールの工夫のお陰もあって、非常に便利に動かしていたのである。先月の23日までは。
異変に気付いたのは、5月30日の土曜日。27日に買ったアルバム、『Ken's Bar II』をiTuneに導入しようと思ってCD-ROMドライブにCDを突っ込んだのだけど……これが認識せず。エクスプローラ上ではドライブ自体はちゃんとあるんだけど、中身が空っぽ。読み込んでる音も全くせず、稼動を示すランプも点灯しない。
「あれ、レンズ全然掃除してないから認識できなくなっちゃったか?」と思い翌日に強力なクリーナーを購入して試してみたのだけれど、やっぱり症状は変わらず。
ここで初めて「もしかして SP3 が不味かったんじゃ……」などと思い至る訳だけど、まぁこの手のトラブルの修復方法はネット上にも沢山転がっているものだ。DVD/CD-ROMドライブが稼動しない訳だから、デバイスマネージャからDVD/CD-ROMドライブのデバイスを削除してみたり、レジストリを削除してみたり(「Upperfilters」と「Lowerfilters」を削除して再起動する事で復帰するといった内容の記述がMSのオンラインサポートにもあるのだ)と、まぁ簡単にできる事は一通りやってみた。因みに削除したレジストリは中途半端にしか復帰しなかったので、削除前にとってあったバックアップから復元したりもした。しかし、普通であれば必要に応じて自動で再構成されるレジストリが、何をやっても中途半端にしか復帰しなかった時点で相当に怪しい──という現実から目を逸らしたまま、私は更なる葛藤を続ける事になる。
とは言え、この作業を行った事で、CDは認識できないものの、DVDは認識できるようになった──のである。なので、iTuneへの曲のインポートは後回しにして件のアルバムに同梱されていたDVDを観ようと、DVDからRealPlayerを起動──したところ、「ドライバを更新しろ」といった内容のエラー画面が出て、RealPlayerの方が半強制的に終了してしまった。でも、光学メディア読み込み用のドライバってリカバリ用のOSのCDの中か、DVD/CD-ROMドライブにくっついてきた標準のドライバCDの中だよね?──って、だからCD-ROMドライブが認識できないのだと言っておろうが。
ともあれ、HDD内の動画はRealPlayerで再生できるし、コーデック不要のプレイヤではDVDの方も問題なく再生できた。そこで導き出した仮定としては、SP3導入時にアプリケーションやらコーデックやらが駄目になったのかな、と。という訳で6月2日、今度は諸々のコーデックを幾つか最新にアップデート。ついでにRealPlayerをアンインストールして最新版をインストールし直した。
結果。
RealPlayerが起動した段階で、今度は「DVD のコピー保護用キーの交換に失敗しました。」といった内容のエラーが表示されて、今度こそ半どころか本格的に強制終了してしまうようになったのである。
ひたすら治らない。
しかも、そんな事を繰り返している内に、何故かその内CDも認識し始めるようになったのだが、これまた1枚のCDを認識するまでに5分くらいかかるのだ。しかも、凄い怪しい読み込み音を立てて。怪訝しい。
しかし、原因がコーデックでもないならDVDの再生には別途専用のソフトを買ってきて復帰するのが一番速そうである。そもそもCDの読み込みが怪しいとなると、iPodに音楽を入れるのも一苦労必要だし、ここはもう新しい光学メディア用のドライブを購入するのが速かろう。
という事で諦めて、3日に外付けのDVD/CD-ROMドライブを購入したのだが……。
DVD再生用にWinDVD8をインストールを試みたところ、エラーが18件ほど出て失敗。
丹念にエラー内容をチェックするに、PassThoughDMO.dllとかSharpness.dllとか、DLLの登録に失敗しまくっている。エラー内容からググった感じでは、グラフィックボードが古いと、こういった登録エラーが出るらしい。という事で、6日にデバイスマネージャのディスプレイアダプタを参照してみたところ、まぁ結構旧いバージョンのようだったので、グラフィックボードのドライバをアップデートして、再びWinDVDをインストールしなおしてみたのだが──やっぱり同様のエラーが出てインストール失敗。
WinDVDを出しているコーレル公式を覧ると、IVIVIDEO.axの登録エラーに対してはDirectXの更新が有効だと出ていたので、(IVIVIDEO.axの登録エラーも当然出ていた事から)DirectXも更新できうる一番最新のバージョンに更新してみた。
が、やっぱり治らない。
一応、外付けのDVD/CD-ROMドライブで現状は凌げてはいるけれど、これはもうOSからインストールし直すしかないのか? しかしそれじゃあ1日がかりの作業じゃないか。コミケ前にそれはちょっと。う〜ん、兼々ノートPC購入の野望はあったけど、このタイミングで購入って手もありなのか? どうする私? どうするのよ?
2009年05月10日
流山、近藤勇陣屋跡。
こういうのは勢いもあるし、タイミングもあるのだな。
という訳で9日。帰省ついでにちょっと脚を伸ばして、流山の近藤勇陣屋跡まで行って参りました。
新選組は1868年(慶応4年)の3月、甲陽鎮撫隊と名を変えて甲州勝沼の戦いに挑み──敗退。江戸に散り散りに逃げ戻った後、翌月4月1日、流山(千葉県)に拠点を移し、土地の豪商であった長岡屋に本陣を敷き再起を図ります。しかし、この地も3日には官軍により包囲され、流山の地を兵火に晒す事を厭うた近藤は、自ら新政府軍に出頭するのです。
近藤はそのまま解放される事なく越谷(埼玉県)に連行され、板橋にて斬首。この流山の地が、近藤勇と土方歳三の永遠の離別の地となったのでした。
さて。
この近藤勇陣屋跡というところは、流鉄流山線(旧総武流山線)の終点、流山駅から徒歩3分程度のところにあります。流山市と言えば、つくばエクスプレス、JR常磐線・武蔵野線、東武野田線と、割と交通の便の良い路線が乗り入れている印象があったのですが、この流山線は始点の馬橋駅が常磐線に連絡している以外、どこの路線からも巧く乗継ができません。帰省にあたってはちょっと遠回り……。
電車の本数は、昼時であれば1時間に4本程度、全6駅の短い路線です。しかも、Suica(ICカード乗車券)非対応。有人改札が久し振りだったので、乗り方に戸惑ってしまったりして……これって十数年前までは当たり前だったのにな。
私が乗ったのは、3両編成の「流星」という電車だったのですが、土曜の昼過ぎとなると乗客もまばら。折角なので、先頭車両の一番前の席に座り、運転席からの眺めをこっそり堪能。
流山駅に降り立ったのは午後4時過ぎでしたが、駅前も余り人出はありません。でも、とても目立つところに『新選組 近藤勇・土方歳三離別の地』と書かれた案内板があって、陣屋跡までの道はすぐに判ります。また、道のあちこちに案内板や幟があって、迷う事無く目的地に辿り付く事が出来ました。
人影のまばらな田舎町である事も手伝ってか、陣屋跡の周囲は驚くほど静か。案内板の説明を読んでケータイで写真を撮り、博物館に行くかちょっとだけ悩んで、結局諦めて駅に戻ったのですが、その間15分強程度でしょうか。もう少し時間があれば、博物館やその他の陣が張られた寺社も廻れたかなぁ、とは思ったのですが、何しろ片手間に寄っただけというのもあって今回は諦めてしまいました。まぁ、そんな遠いところでもないので、廻ろうと思えばいつでも回れるのだろうけれど、そういう場所こそ、なかなか行かなかったりするんだよねぇ……。
でも、ここって本当はもっと観光地然としてて良いと思うんだけど。大河ドラマやってた頃はもっと人も多かったのかな。4月25日前後とかだと、人出もあったりするんだろうか。陣屋跡の隣の酒屋さんには香取慎吾扮する近藤勇のポスターが貼られていました。
という訳で9日。帰省ついでにちょっと脚を伸ばして、流山の近藤勇陣屋跡まで行って参りました。
新選組は1868年(慶応4年)の3月、甲陽鎮撫隊と名を変えて甲州勝沼の戦いに挑み──敗退。江戸に散り散りに逃げ戻った後、翌月4月1日、流山(千葉県)に拠点を移し、土地の豪商であった長岡屋に本陣を敷き再起を図ります。しかし、この地も3日には官軍により包囲され、流山の地を兵火に晒す事を厭うた近藤は、自ら新政府軍に出頭するのです。
近藤はそのまま解放される事なく越谷(埼玉県)に連行され、板橋にて斬首。この流山の地が、近藤勇と土方歳三の永遠の離別の地となったのでした。
さて。
この近藤勇陣屋跡というところは、流鉄流山線(旧総武流山線)の終点、流山駅から徒歩3分程度のところにあります。流山市と言えば、つくばエクスプレス、JR常磐線・武蔵野線、東武野田線と、割と交通の便の良い路線が乗り入れている印象があったのですが、この流山線は始点の馬橋駅が常磐線に連絡している以外、どこの路線からも巧く乗継ができません。帰省にあたってはちょっと遠回り……。
電車の本数は、昼時であれば1時間に4本程度、全6駅の短い路線です。しかも、Suica(ICカード乗車券)非対応。有人改札が久し振りだったので、乗り方に戸惑ってしまったりして……これって十数年前までは当たり前だったのにな。
私が乗ったのは、3両編成の「流星」という電車だったのですが、土曜の昼過ぎとなると乗客もまばら。折角なので、先頭車両の一番前の席に座り、運転席からの眺めをこっそり堪能。
流山駅に降り立ったのは午後4時過ぎでしたが、駅前も余り人出はありません。でも、とても目立つところに『新選組 近藤勇・土方歳三離別の地』と書かれた案内板があって、陣屋跡までの道はすぐに判ります。また、道のあちこちに案内板や幟があって、迷う事無く目的地に辿り付く事が出来ました。
人影のまばらな田舎町である事も手伝ってか、陣屋跡の周囲は驚くほど静か。案内板の説明を読んでケータイで写真を撮り、博物館に行くかちょっとだけ悩んで、結局諦めて駅に戻ったのですが、その間15分強程度でしょうか。もう少し時間があれば、博物館やその他の陣が張られた寺社も廻れたかなぁ、とは思ったのですが、何しろ片手間に寄っただけというのもあって今回は諦めてしまいました。まぁ、そんな遠いところでもないので、廻ろうと思えばいつでも回れるのだろうけれど、そういう場所こそ、なかなか行かなかったりするんだよねぇ……。
でも、ここって本当はもっと観光地然としてて良いと思うんだけど。大河ドラマやってた頃はもっと人も多かったのかな。4月25日前後とかだと、人出もあったりするんだろうか。陣屋跡の隣の酒屋さんには香取慎吾扮する近藤勇のポスターが貼られていました。
2009年05月06日
雨の午後、新選組隊士供養塔。
先月まで、時代劇専門チャンネルでは鶴田浩二が近藤勇を演じる『新選組』が放送されていた。
脚本は結束信二。この結束信二と言う人は司馬遼太郎の『新選組血風録』や『燃えよ剣』の脚本も担当していた人で、それ以外にも、私はこの人の脚本作品で比較的好きなものが多い。
近藤勇も、色々な人が演じているのを見ているけれど、実はこの「鶴田浩二の『近藤勇』」が今のところ一番好きである。言葉遣いだけでなく全体の雰囲気が丁寧で、憂いのある視線が好きだ。この人の下なら、確かに沢山の人々が集まっただろうなって思う。
土方歳三は栗塚旭が演じていて、これはもう──どちらにしても、この人以上の土方歳三はいないから、何も言う事がない。
沖田総司は有川博だけど、この『新選組』では特に最終回に近くなってくると会津藩士役で出ている島田順司との絡みが多くなる。2004年の大河ドラマの『新選組!』でもそうだったけれど、『新選組血風録』と『燃えよ剣』で沖田総司を演じた島田順司は、大概そんな風にして、新たな沖田総司と向き合うのだ。でも、有川博の沖田総司も良いと思う。島田順司より子供っぽい雰囲気が堪らない。島田順司の沖田総司は、ちょっと意地が悪いと思う。
その、鶴田浩二の『新選組』の放送が終わったのが4月末の事。そして私は、最終回の『鳥羽伏見の戦い(後編)』を観てボロボロと涙を流しながら思ったのである。
「やっぱ、5月は新選組だ(意味不明)」
去年の5月は土方歳三の140回忌だった。近藤勇の命日は4月だからもう過ぎてる……けれど、5月は戊辰戦争の終戦月でもある。やっぱり5月に新選組関連行きたい! 行きたいのだ。
という訳で。
結局、板橋にある新選組隊士供養塔に行く事に。本当はもっと別の場所を考えていたのだけれど、5日は生憎と雨になってしまったので、比較的近く、そして近いが故に脚を運んだ事がなく、近藤勇に関係のある場所──と思って選んだのが、このJR板橋駅のすぐ傍にある新選組隊士供養塔だったのである。
この供養塔について、ここでは延々と「新選組隊士供養塔」という言い方をしているけれど、実はこのJR板橋駅の駅前にある供養塔は、近藤勇の墓として有名である。が、近藤勇の遺骨はここにはない。あるのは──多分、永倉新八の遺髪だけだ。しかも、板橋駅前なのに、この墓所は板橋区ではなく北区にあるのだ。北区滝野川。
JR板橋駅に降りると、東口から滝野川に出られる。この墓所は駅から徒歩1分……もかからないかな。とにかく、東口の改札を出るとすぐ見える場所にある。
入って正面奥に近藤勇(と、連なる新選組隊士達)の大きな供養塔があって、左手には永倉新八の墓。何故、永倉新八の墓だけが独立しているかというと、この供養塔を立てたのが永倉新八だから。そして、彼の墓の下には、彼の遺髪が埋まっている──そうだから。
そしてこの墓所の中心とも呼べる供養塔の方は、多分空っぽなのだろう。この供養塔は近藤勇の名と共に土方歳三の名前が並べて刻んである。そして、その左右の面には、他の新選組隊士全員の名前が載っている。
ここは近藤勇の墓として有名だと言ったけれど、強いて近藤勇の墓と呼べるものがあるとすれば、その供養塔の向かってすぐ右にある墓石と、更に右手にある何も刻まれていない自然石──まるで庭石のようにそっと置いてあるその石こそが、近藤勇の胴体が埋葬された当時の墓石なのだと言うから、これらが「近藤勇の墓」なのだろう。
その自然石にも、手を合わせた。
新選組の墓参りにしては、微妙に時期を外しているな、とは思う。
近藤勇なら4月25日だし、この供養塔の供養祭も4月中に行われる。5月11日まで行けば土方歳三の命日になるし、その頃になると日野市でも板橋区でも新選組祭がある。本来なら、墓参りもそういった時期に行けばイベントが多くて面白いのだろう。
でも、今回はどうしても行きたかったんだよね。本当は、5日はくらやみ祭に行こうと思ってたから。『燃えよ剣』の冒頭の場面で語られる、あの府中のくらやみ祭。あの祭から、土方歳三の新選組への道程は始まったのだから……多分。
薩摩切子展に新選組の墓参りと、意識してなかったのに妙に幕末付いていた今年のゴールデンウィーク。まだ何かあったりして。あると良いなぁ。
脚本は結束信二。この結束信二と言う人は司馬遼太郎の『新選組血風録』や『燃えよ剣』の脚本も担当していた人で、それ以外にも、私はこの人の脚本作品で比較的好きなものが多い。
近藤勇も、色々な人が演じているのを見ているけれど、実はこの「鶴田浩二の『近藤勇』」が今のところ一番好きである。言葉遣いだけでなく全体の雰囲気が丁寧で、憂いのある視線が好きだ。この人の下なら、確かに沢山の人々が集まっただろうなって思う。
土方歳三は栗塚旭が演じていて、これはもう──どちらにしても、この人以上の土方歳三はいないから、何も言う事がない。
沖田総司は有川博だけど、この『新選組』では特に最終回に近くなってくると会津藩士役で出ている島田順司との絡みが多くなる。2004年の大河ドラマの『新選組!』でもそうだったけれど、『新選組血風録』と『燃えよ剣』で沖田総司を演じた島田順司は、大概そんな風にして、新たな沖田総司と向き合うのだ。でも、有川博の沖田総司も良いと思う。島田順司より子供っぽい雰囲気が堪らない。島田順司の沖田総司は、ちょっと意地が悪いと思う。
その、鶴田浩二の『新選組』の放送が終わったのが4月末の事。そして私は、最終回の『鳥羽伏見の戦い(後編)』を観てボロボロと涙を流しながら思ったのである。
「やっぱ、5月は新選組だ(意味不明)」
去年の5月は土方歳三の140回忌だった。近藤勇の命日は4月だからもう過ぎてる……けれど、5月は戊辰戦争の終戦月でもある。やっぱり5月に新選組関連行きたい! 行きたいのだ。
という訳で。
結局、板橋にある新選組隊士供養塔に行く事に。本当はもっと別の場所を考えていたのだけれど、5日は生憎と雨になってしまったので、比較的近く、そして近いが故に脚を運んだ事がなく、近藤勇に関係のある場所──と思って選んだのが、このJR板橋駅のすぐ傍にある新選組隊士供養塔だったのである。
この供養塔について、ここでは延々と「新選組隊士供養塔」という言い方をしているけれど、実はこのJR板橋駅の駅前にある供養塔は、近藤勇の墓として有名である。が、近藤勇の遺骨はここにはない。あるのは──多分、永倉新八の遺髪だけだ。しかも、板橋駅前なのに、この墓所は板橋区ではなく北区にあるのだ。北区滝野川。
JR板橋駅に降りると、東口から滝野川に出られる。この墓所は駅から徒歩1分……もかからないかな。とにかく、東口の改札を出るとすぐ見える場所にある。
入って正面奥に近藤勇(と、連なる新選組隊士達)の大きな供養塔があって、左手には永倉新八の墓。何故、永倉新八の墓だけが独立しているかというと、この供養塔を立てたのが永倉新八だから。そして、彼の墓の下には、彼の遺髪が埋まっている──そうだから。
そしてこの墓所の中心とも呼べる供養塔の方は、多分空っぽなのだろう。この供養塔は近藤勇の名と共に土方歳三の名前が並べて刻んである。そして、その左右の面には、他の新選組隊士全員の名前が載っている。
ここは近藤勇の墓として有名だと言ったけれど、強いて近藤勇の墓と呼べるものがあるとすれば、その供養塔の向かってすぐ右にある墓石と、更に右手にある何も刻まれていない自然石──まるで庭石のようにそっと置いてあるその石こそが、近藤勇の胴体が埋葬された当時の墓石なのだと言うから、これらが「近藤勇の墓」なのだろう。
その自然石にも、手を合わせた。
新選組の墓参りにしては、微妙に時期を外しているな、とは思う。
近藤勇なら4月25日だし、この供養塔の供養祭も4月中に行われる。5月11日まで行けば土方歳三の命日になるし、その頃になると日野市でも板橋区でも新選組祭がある。本来なら、墓参りもそういった時期に行けばイベントが多くて面白いのだろう。
でも、今回はどうしても行きたかったんだよね。本当は、5日はくらやみ祭に行こうと思ってたから。『燃えよ剣』の冒頭の場面で語られる、あの府中のくらやみ祭。あの祭から、土方歳三の新選組への道程は始まったのだから……多分。
薩摩切子展に新選組の墓参りと、意識してなかったのに妙に幕末付いていた今年のゴールデンウィーク。まだ何かあったりして。あると良いなぁ。
2009年02月22日
「知恵と勇気」かそれとも「カネ」か。
組織が大きくなり安定志向が頸を擡げてくると、それまでは「知恵と勇気」で手に入れようとしてきたものを、「カネ」で手に入れようとするようになる。その方が楽だから──ではない。全くそうでないとまでは言わないけれど、本質的な理由はもっと別にある。要は、その方がリスクが少ないからだ。手に入れたものを、喪う訳にはいかない。
けれど、それに耐えられない人間は、「知恵と勇気」を必要とする新たな地を求めて、敢えて不安定な世界へと踏み出す事にすると云う。そして安定の中に安住し始めた我々に云うのだ。
「当時は大変だったけれど愉しかったね」
残される人々は肯く。
果たして、その瞬間に。
遺される我々には、「カネ」で安定を購う道を選んだのだという自覚が芽生える事になる。
ハテ、我々は何がしたかったのだろう。
我々は安定を得るために、「知恵と勇気」を振り絞って来たのではなかったか。
我々は清濁併せ呑みながら、これからも粛々と安定への途を歩まねばならぬ。
螺子ならひとつくらい抜けても仕組みは動く。しかし、歯車が抜ければ仕組みは停まる。だが、歯車はカネで買えるのだ。ならば交換すれば良い。
とまぁ、職場を去る人の送別会の終わり、旧い人間ばかりが数人残った中で、そんな話になった。子供の頃に観た『機動警察パトレイバー』には、「『知恵と勇気』でしのげ、何とかなる!」って台詞があったんだけどなぁ。どうやら、安定が視野に入ってくるようになった時点で、その言葉はもう、我々の味方にはならないようである。大人の世界で繰り広げられる少年漫画は、所詮は少年漫画という事か。
理想に殉じる事が出来るほど強い人間になれない自分。そんな自分を揶揄するが故に、今でも理想の具現を追いかけて、ロボットアニメや時代劇を熱狂的に観るのだけれど。
こういう矛盾から敢えて眼を逸らす事のできる人間だけが、安住の地を手に入れられると云うのなら──これほどに、残念な事はない。
けれど、それに耐えられない人間は、「知恵と勇気」を必要とする新たな地を求めて、敢えて不安定な世界へと踏み出す事にすると云う。そして安定の中に安住し始めた我々に云うのだ。
「当時は大変だったけれど愉しかったね」
残される人々は肯く。
果たして、その瞬間に。
遺される我々には、「カネ」で安定を購う道を選んだのだという自覚が芽生える事になる。
ハテ、我々は何がしたかったのだろう。
我々は安定を得るために、「知恵と勇気」を振り絞って来たのではなかったか。
我々は清濁併せ呑みながら、これからも粛々と安定への途を歩まねばならぬ。
螺子ならひとつくらい抜けても仕組みは動く。しかし、歯車が抜ければ仕組みは停まる。だが、歯車はカネで買えるのだ。ならば交換すれば良い。
とまぁ、職場を去る人の送別会の終わり、旧い人間ばかりが数人残った中で、そんな話になった。子供の頃に観た『機動警察パトレイバー』には、「『知恵と勇気』でしのげ、何とかなる!」って台詞があったんだけどなぁ。どうやら、安定が視野に入ってくるようになった時点で、その言葉はもう、我々の味方にはならないようである。大人の世界で繰り広げられる少年漫画は、所詮は少年漫画という事か。
理想に殉じる事が出来るほど強い人間になれない自分。そんな自分を揶揄するが故に、今でも理想の具現を追いかけて、ロボットアニメや時代劇を熱狂的に観るのだけれど。
こういう矛盾から敢えて眼を逸らす事のできる人間だけが、安住の地を手に入れられると云うのなら──これほどに、残念な事はない。
2008年12月20日
CSS Nite in Ginza, Vol.29『伝わる文章で築く、ナイスなウェブコミュニケーション』
せっかく参加の事前登録しても、19時過ぎまで社内でミーティングをやっているようでは全く以って意味がありません。
と言う訳で結局立ち見となってしまいましたが、18日にアップルストア銀座で開催されていたCSS Nite in Ginza, Vol.29に参加して参りました。CSS Nite はそれこそ去年のWeb標準の日々以来なので、実に1年半振り。しかも、その時はもっと大規模イベントでしたから、こういった無料版の CSS Nite の参加はぶっちゃけ初めて。その上、平日の19時から銀座でやってるようなイベントに参加できるようになった事自体、私の仕事環境も随分変わった訳で、別の意味で感慨深いと言うか……。
今回のメインスピーカーは矢野りん氏。ちなみに私、ネットでちょっとでもWeb関連の調べ物をすると、度々この方の記事に辿り着いてしまう──というくらい(一方的に)よくお名前を見かけていながら、なかなか実際にご本人の講義を聴く機会を得られなかったので、今回は勇んで参加です……いや、まぁ遅刻しましたけど。
今回の講義は『伝わる文章で築く、ナイスなウェブコミュニケーション』と言う事で、ウェブライティングについて。私の文章は難解らしく、特に社内では甚く不評(苦笑)なのでここは真面目に勉強しておきたいところ。とは言え、こうやって文章を書いていながら、のっけから教えられたことを守れていない辺り、こう、どうなの自分──といった感じでもあるのですが。
でもね、約束事でがんじがらめになっていても隠し切れない、それを(意図の有無に関わらず)突き破ってどうしてもにじみ出てしまう何か──それが個性だと言うのなら、私みたいな緩い人間なんぞには、個性を追求するのなんて到底無理な話で。というか、最初から自分の文章に然程の個性も感じないし、そこまでストイックに追求しようと思ったこともないのだけれど。でも、だからと言ってそれが安易にルールを破って良いという事の言い訳にはならないし、書く以上は、(少なくとも自分自身には)解り易い文章を書きたいとは思ったりしている訳で……。
講義の後は忘年会だったのですが、会場に行く途中数人で迷子になってしまい、銀座の街を彷徨う事に……。(笑)もうこうなってしまうと「知らない人同士だったのに団結力が深まって良いよね!」と肯定的に捉える事にして、誰が言った訳でもないのに、みんな能動的にケータイでお店の場所を検索。ケータイの地図のお陰で、何とか会場にたどり着く事ができましたとさ。
長々と顛末を語ってみましたが、まぁ端的に言うと、こういうの──じゃなくて、道に迷ったのもそれなりに良かったよね、と。
う〜ん、「主語と述語はなるべく近くに置いて、修飾語は先頭に持ってくる」だけ巧く入れられなかったな。残念。
まぁ、何はともあれ今年ももうすぐ終わりだし、何事も取りこぼしがないよう、今年中になるべく残件回収しないとなぁ。
と言う訳で結局立ち見となってしまいましたが、18日にアップルストア銀座で開催されていたCSS Nite in Ginza, Vol.29に参加して参りました。CSS Nite はそれこそ去年のWeb標準の日々以来なので、実に1年半振り。しかも、その時はもっと大規模イベントでしたから、こういった無料版の CSS Nite の参加はぶっちゃけ初めて。その上、平日の19時から銀座でやってるようなイベントに参加できるようになった事自体、私の仕事環境も随分変わった訳で、別の意味で感慨深いと言うか……。
今回のメインスピーカーは矢野りん氏。ちなみに私、ネットでちょっとでもWeb関連の調べ物をすると、度々この方の記事に辿り着いてしまう──というくらい(一方的に)よくお名前を見かけていながら、なかなか実際にご本人の講義を聴く機会を得られなかったので、今回は勇んで参加です……いや、まぁ遅刻しましたけど。
今回の講義は『伝わる文章で築く、ナイスなウェブコミュニケーション』と言う事で、ウェブライティングについて。私の文章は難解らしく、特に社内では甚く不評(苦笑)なのでここは真面目に勉強しておきたいところ。とは言え、こうやって文章を書いていながら、のっけから教えられたことを守れていない辺り、こう、どうなの自分──といった感じでもあるのですが。
でもね、約束事でがんじがらめになっていても隠し切れない、それを(意図の有無に関わらず)突き破ってどうしてもにじみ出てしまう何か──それが個性だと言うのなら、私みたいな緩い人間なんぞには、個性を追求するのなんて到底無理な話で。というか、最初から自分の文章に然程の個性も感じないし、そこまでストイックに追求しようと思ったこともないのだけれど。でも、だからと言ってそれが安易にルールを破って良いという事の言い訳にはならないし、書く以上は、(少なくとも自分自身には)解り易い文章を書きたいとは思ったりしている訳で……。
講義の後は忘年会だったのですが、会場に行く途中数人で迷子になってしまい、銀座の街を彷徨う事に……。(笑)もうこうなってしまうと「知らない人同士だったのに団結力が深まって良いよね!」と肯定的に捉える事にして、誰が言った訳でもないのに、みんな能動的にケータイでお店の場所を検索。ケータイの地図のお陰で、何とか会場にたどり着く事ができましたとさ。
長々と顛末を語ってみましたが、まぁ端的に言うと、こういうの──じゃなくて、道に迷ったのもそれなりに良かったよね、と。
う〜ん、「主語と述語はなるべく近くに置いて、修飾語は先頭に持ってくる」だけ巧く入れられなかったな。残念。
まぁ、何はともあれ今年ももうすぐ終わりだし、何事も取りこぼしがないよう、今年中になるべく残件回収しないとなぁ。
2008年12月07日
第21回WebSig会議『2008年を振り返り、2009年の Web 業界を考える』
5日の金曜日は23時頃から呑み始め、翌午前3時にタクシーで帰ってきたのですが、例え帰宅時間がずれ込んでも、元から入っている予定の開始時刻は変わりません。変わらないのだ。
という訳で6日は第21回WebSig会議『2008年を振り返り、2009年の Web 業界を考える』に参加して参りました。WebSig会議の参加は1年振りでしたが、珍しく開始時刻に10分ほど遅刻してしまい、アンケート用紙を受け取れず。済みません、アンケート提出しなかった3人の内の1人は私です。(ここで謝っても意味ないけどな。)
当日の内容に就ては、後ほど上記のリンク先サイトにプレゼン資料も含め上がるとの事ですので、詳細は特に書きませんが、第1部では、個人的にはメンバーズの塚本洋氏とアイ・エム・ジェイの渋谷太郎氏の見解が非常に近しい感じがしたのが印象的でした。おふたりとも個人的な見解である旨を強調しておられましたが、それにしてもちょっと面白かったな、と。
カヤックの鈴木啓央氏のお話は、元のセグメントからしてニッチなところに分類されていたので、これはこれで全く違った切り口で面白かったのですが、「現在、『ブログパーツ』を造りたいのは誰か」というお話については凄く納得。そして、個人的には、コンセントの河内尚子氏のお話が一番意外性があったように思いました。あくまで、ざっくりとした印象ですが。
第2部のワールドカフェについては、特に成果物を出す必要がなかったという事もありましたし、立場を超えてざっくばらんに話ができたという点で、気付きというよりは刺激になりました。因みに私は「コミュニケーションって大切だよね」という点をアピっておきますたいと思います。はい。
会議終了後の忘年会も引き続き参加。今回は余り席を移動しなかったので、何人かの方と比較的じっくりお時間を取ってお話する事ができたのですが、これが非常に面白くて、お料理が美味しかった事もあって、全般的に愉しく過ごす事が出来ました。魅力的な方とお話しすると心が震える。最近殊に思うのですが、初めて会う人と名刺交換しまくるだけしまくって、相手の顔も殆ど覚えられないまま終わるというタイプのイベントが、どうも好きじゃないんですよね、私。というのも実は先日、チケットが手に入ったので某社(済みません。無用な誤解を招きそうだったので遅ばせながら企業名伏せました)の周年記念イベントにも遊びに行ってみたりしたのですが、これが何というか……みんな名刺交換に夢中で殆どステージのイベントを無視している状態で、個人的に疑問符の嵐だったりしまして。まぁ、会場を見回すと「あ、あの人顔知ってる」みたいな人もお見かけしたので、そういう状況も分からなくはないのですが。でも、ステージで行われていたトークセッションも全く聴こえなくて、協賛企業のサプライズも微妙に無視した感じの会場の雰囲気には、正直なところこれはちょっと……といった印象を持ってしまって。最終的には手元に名刺が増えただけで、「何で行ったんだ、私?」みたいな。まぁ、私みたいな小者には理解が及ばなかったと言うだけの話なんですが。
誤解のないように付け加えますが、パーティそのものは絶えずイベントがあって、かなり充実していたのだと思います。ただ、聴こえなかっただけで……。それに、そういった需要が大きかったからこそ、名刺交換イベントになったのだと思いますので、結論から言えば、場違いだったのは私の方だったのだろうな、と。
そういえば、忘年会で「(WebSig会議の参加は)何回目ですか?」と何度か訊かれたのですが、1年振りの参加だった所為か全く憶えていませんでした。過去ログ検索すると、どうやら分科会含めて4回目みたいです。
という訳で6日は第21回WebSig会議『2008年を振り返り、2009年の Web 業界を考える』に参加して参りました。WebSig会議の参加は1年振りでしたが、珍しく開始時刻に10分ほど遅刻してしまい、アンケート用紙を受け取れず。済みません、アンケート提出しなかった3人の内の1人は私です。(ここで謝っても意味ないけどな。)
当日の内容に就ては、後ほど上記のリンク先サイトにプレゼン資料も含め上がるとの事ですので、詳細は特に書きませんが、第1部では、個人的にはメンバーズの塚本洋氏とアイ・エム・ジェイの渋谷太郎氏の見解が非常に近しい感じがしたのが印象的でした。おふたりとも個人的な見解である旨を強調しておられましたが、それにしてもちょっと面白かったな、と。
カヤックの鈴木啓央氏のお話は、元のセグメントからしてニッチなところに分類されていたので、これはこれで全く違った切り口で面白かったのですが、「現在、『ブログパーツ』を造りたいのは誰か」というお話については凄く納得。そして、個人的には、コンセントの河内尚子氏のお話が一番意外性があったように思いました。あくまで、ざっくりとした印象ですが。
第2部のワールドカフェについては、特に成果物を出す必要がなかったという事もありましたし、立場を超えてざっくばらんに話ができたという点で、気付きというよりは刺激になりました。因みに私は「コミュニケーションって大切だよね」という点をアピっておきますたいと思います。はい。
会議終了後の忘年会も引き続き参加。今回は余り席を移動しなかったので、何人かの方と比較的じっくりお時間を取ってお話する事ができたのですが、これが非常に面白くて、お料理が美味しかった事もあって、全般的に愉しく過ごす事が出来ました。魅力的な方とお話しすると心が震える。最近殊に思うのですが、初めて会う人と名刺交換しまくるだけしまくって、相手の顔も殆ど覚えられないまま終わるというタイプのイベントが、どうも好きじゃないんですよね、私。というのも実は先日、チケットが手に入ったので某社(済みません。無用な誤解を招きそうだったので遅ばせながら企業名伏せました)の周年記念イベントにも遊びに行ってみたりしたのですが、これが何というか……みんな名刺交換に夢中で殆どステージのイベントを無視している状態で、個人的に疑問符の嵐だったりしまして。まぁ、会場を見回すと「あ、あの人顔知ってる」みたいな人もお見かけしたので、そういう状況も分からなくはないのですが。でも、ステージで行われていたトークセッションも全く聴こえなくて、協賛企業のサプライズも微妙に無視した感じの会場の雰囲気には、正直なところこれはちょっと……といった印象を持ってしまって。最終的には手元に名刺が増えただけで、「何で行ったんだ、私?」みたいな。まぁ、私みたいな小者には理解が及ばなかったと言うだけの話なんですが。
誤解のないように付け加えますが、パーティそのものは絶えずイベントがあって、かなり充実していたのだと思います。ただ、聴こえなかっただけで……。それに、そういった需要が大きかったからこそ、名刺交換イベントになったのだと思いますので、結論から言えば、場違いだったのは私の方だったのだろうな、と。
そういえば、忘年会で「(WebSig会議の参加は)何回目ですか?」と何度か訊かれたのですが、1年振りの参加だった所為か全く憶えていませんでした。過去ログ検索すると、どうやら分科会含めて4回目みたいです。
2008年11月08日
お悔やみ。
筑紫哲也さんのご逝去にお悔やみ申し上げます。『筑紫哲也 NEWS23』は小学生の頃からのお付き合いで、確か小学校の時の卒業文集でも、尊敬する人にこの人の名前書いたんだよな……。ニュースを知った時は独りで魔神の前で泣いてしまったよ。TBSの不祥事の際には、時に歯切れの悪い物言いをする事もあったけれど、それでもこの人の発言にはそれなりに結構影響されて来ただけに、とても残念です。
2008年07月05日
百合の肖像。
そんな感じでかなり気軽なスタートだったから、育て方なんか何も知らずに小さな鉢で育て始めてしまい、これといった肥料もあげられないまま、その内余りにも背が高くなってしまったので今度は変な時期に植え替てみたり──と色々と可哀想な事をしてしまったのに、山百合って強いなぁ。掌よりも大きな花が次々と咲いて……。まぁ、西側に立ってる隣のマンションが高いから西陽が全く入らないっていう環境も良かったんだろうし、もっとちゃんと育ててあげられれば、更に沢山蕾も付けられたのかも知れないけれど……。
それでも蕾が膨らんできてからは、毎晩水を遣る度に「早く早く、綺麗に咲いておくれ」なんて芝居がかった感じで声をかけていたりもして(周囲から観れば夜中の独り言で怪しい事この上ない。まぁ、夜中だったからできたとも言えるが……。でも、植物って聴覚あるって言うし、やっぱ声掛けるのは良いんじゃないかな、とか……。)7月1日の早朝、最初に開花した花を見つけた瞬間は、大慌てでケータイのカメラのシャッター押し捲ってしまいましたよ。
それにしても何て美人なんだろう、カサブランカって。一応、玄関にも造花のカサブランカを大量に飾ってるんだけど、本物を観ると美しすぎて、やっぱ全然違っていてびっくりする。もう最近は、カサブランカの花眺めてるだけで癒される。素敵。香りも大好き。近所に美味しい珈琲を出してくれる店があるんだけど、その店もいつもカサブランカが飾ってあって好い香りがしている。紅茶のときは絶対に薔薇だけど、珈琲の時は百合がいいな、といつも思う。家でも、カサブランカが綺麗な内にお茶会っていうか、珈琲パーティでもやろうかな。
でも、今日はこれからFriends on Ice 2008に出掛けちゃうんだが。(笑)
ラベル:カサブランカ
2008年05月14日
土方歳三140回忌の朝。
上司の結婚式の二次会パーティに出たら、そのまま三次会四次会まで傾れ込んで、帰宅したのは午前様──だったのにも関わらず、翌朝午前8時には新宿駅に佇んでいた保科志穂です。
と言う訳で去る5月11日、新選組副長土方歳三の140回忌にあたる日に、日野市にある土方歳三資料館まで行って、彼の愛刀である和泉守兼定の刀身を覧て来ました。勿論、石田寺にも脚を伸ばして、彼のお墓参りもしてきましたよ。
当日は生憎の雨模様だったので、新宿から高幡不動駅までは京王線で移動し、そこからは多摩モノレールに乗り換えて万願寺駅まで。降り立つと、すぐに資料館の案内板が見え、全く迷う事無く辿り着く事ができました。
兼定の刀身は例年、年に一度の期間限定公開なのだそうですが、今年に関しては彼が佩刀していたというもうひとつの刀、大和守源秀国も併せての公開との事で、140回忌も手伝ってか、10時過ぎに資料館を出た時には、既に出入り口は混雑の呈でした。そんな重要な日に、スタンプラリーのスタンプを貰いに来たと資料館の出入り口で強固に主張するおぢさん(資料館はスタンプラリーのコースではありません。)と、それを冷ややかな眸で見守る新選組を愛する人々……な状況に微妙な気分になりながらも、私の方はそそくさと資料館を後にし、土方歳三のお墓のある石田寺へ。
石田寺にてお焼香を済ませた後は、前日の疲れもあって、同寺での読経や絶賛開催中の新撰組祭り等に参加する事もなく、高幡不動にふらりと立ち寄っただけでそのまま帰ってきてしまったのですが、石田寺近辺は花々の咲き乱れるとても素敵な土地で、そぞろ歩いた事だけでも良い気分転換になりました。今回は同行のおろ嬢のお陰で朝早く現地に着けたので、かなり快適に巡る事ができたかと。
新撰組に関しては、色々と思うところもあるのですが……ただ、ここ最近は、4年前に行った函館の地で、碧血碑に向かう道すがら眼に飛び込んで来た真っ青な空と紺碧の海に、土方歳三という人が本当はどこに眠っているのかなんて、私は知らなくていいのだと──下世話な詮索なんてしたところで真実など知る事はできないし、そんな事今更知っても意味はないのだと──そんな事を突然納得した瞬間を、それこそフラッシュバックのように思い出し、ただただ眼に入ってきたものを受け入れるといった感じです。
私の中で、土方歳三という人への思い入れは、函館の藍い空と海の記憶と混じりあっていて、もうそれを切り離すのは難しい状態。
まぁ、時代劇専門チャンネルの栗塚旭の番組は、相変わらず要チェックしてるんですけどね。幕末は好きですし、今後もずっと好きだと思います。また折を見て、新撰組ツアーみたいなものもやりたいものです。もっとも、中学生の修学旅行の時から何回幕末ツアーやってんだって感じでもありますが。
と言う訳で去る5月11日、新選組副長土方歳三の140回忌にあたる日に、日野市にある土方歳三資料館まで行って、彼の愛刀である和泉守兼定の刀身を覧て来ました。勿論、石田寺にも脚を伸ばして、彼のお墓参りもしてきましたよ。
当日は生憎の雨模様だったので、新宿から高幡不動駅までは京王線で移動し、そこからは多摩モノレールに乗り換えて万願寺駅まで。降り立つと、すぐに資料館の案内板が見え、全く迷う事無く辿り着く事ができました。
兼定の刀身は例年、年に一度の期間限定公開なのだそうですが、今年に関しては彼が佩刀していたというもうひとつの刀、大和守源秀国も併せての公開との事で、140回忌も手伝ってか、10時過ぎに資料館を出た時には、既に出入り口は混雑の呈でした。そんな重要な日に、スタンプラリーのスタンプを貰いに来たと資料館の出入り口で強固に主張するおぢさん(資料館はスタンプラリーのコースではありません。)と、それを冷ややかな眸で見守る新選組を愛する人々……な状況に微妙な気分になりながらも、私の方はそそくさと資料館を後にし、土方歳三のお墓のある石田寺へ。
石田寺にてお焼香を済ませた後は、前日の疲れもあって、同寺での読経や絶賛開催中の新撰組祭り等に参加する事もなく、高幡不動にふらりと立ち寄っただけでそのまま帰ってきてしまったのですが、石田寺近辺は花々の咲き乱れるとても素敵な土地で、そぞろ歩いた事だけでも良い気分転換になりました。今回は同行のおろ嬢のお陰で朝早く現地に着けたので、かなり快適に巡る事ができたかと。
新撰組に関しては、色々と思うところもあるのですが……ただ、ここ最近は、4年前に行った函館の地で、碧血碑に向かう道すがら眼に飛び込んで来た真っ青な空と紺碧の海に、土方歳三という人が本当はどこに眠っているのかなんて、私は知らなくていいのだと──下世話な詮索なんてしたところで真実など知る事はできないし、そんな事今更知っても意味はないのだと──そんな事を突然納得した瞬間を、それこそフラッシュバックのように思い出し、ただただ眼に入ってきたものを受け入れるといった感じです。
私の中で、土方歳三という人への思い入れは、函館の藍い空と海の記憶と混じりあっていて、もうそれを切り離すのは難しい状態。
まぁ、時代劇専門チャンネルの栗塚旭の番組は、相変わらず要チェックしてるんですけどね。幕末は好きですし、今後もずっと好きだと思います。また折を見て、新撰組ツアーみたいなものもやりたいものです。もっとも、中学生の修学旅行の時から何回幕末ツアーやってんだって感じでもありますが。
2008年04月05日
音無川の遊歩道。
日本人の、桜に対するこの執着は何だろうと思う時がある。
『薔薇は美しく散る』という概念(笑)を知っている日本人はごまんといるだろうけれど、実際に薔薇の散る様を思い出せる人がどれくらいいるかというと、これは結構稀なんじゃなかろうか。それに較べて、桜の花の散り際を思い出せない日本人を捜すとなると、こっちはかなり至難の業だと思う。だって、日本の学校には、まるで義務なのかと思うくらい、必ず桜の樹が植わっているもんだし。というか、あれって冗談抜きで義務なんですか? 校庭に桜の樹がない学校なんて、日本の何処かにあるのかなぁ──なんて、そんな風に思うくらい、桜の花は日本人にとって馴染みがある訳で。
そりゃ、特攻機にだって『桜花』なんて名前付けちゃうよね。桜は散り際が一番美しい、お前等も桜のように華々しく潔く死ねと強要されりゃ、日本人としてはもう、ハイ御尤も──としか。
さて。
先日、お天気に恵まれたので、音無川まで桜を観に行って来た。川沿いの遊歩道は、江戸時代から続く桜の名所である飛鳥山の麓あたりから、旧中仙道の板橋の先まで、実に千本以上の桜が延々と続く桜並木になっているのである。
この通りに植えられた桜達は、川沿いに高く築かれた堤防の上から、川面に向かって盛大に下に伸びている。要するに、その枝振りを観る為に頸を上に廻す必要がないのだ。真横を眺めていても、というより俯向いていたって、その見事な枝が視界に入る。
そしてこれが、宿酔いに丁度良い。若干気持ち悪くても、俯向いて漫ろ歩いているだけで、桜の美しさを愛でる事ができる。一所に留まらないから、居眠りする事もないし。
それで、その時は行きがけにソルマックを購入したその足で電車に乗り込み、辿り着いた王子の駅前から、それこそ往復で2時間以上もかけて、だらだらと川沿いを歩いて来たのだった。
今日は土曜日だけど、午後から出勤の予定。これを書き終わったら出ますよ。相変わらず仕事は忙しいけれど、それでもこうやって桜の花を愉しめる瞬間がある事は、かなり幸せに思える。
満開の桜を眺める時に想像するのは、その山の西の斜面に一本だけの桜の老木と、そこに参じる人々の面影。
日本人である事を差し引いても、私の桜への執着もまた、拭い去れないものがある──ような、気がする。
『薔薇は美しく散る』という概念(笑)を知っている日本人はごまんといるだろうけれど、実際に薔薇の散る様を思い出せる人がどれくらいいるかというと、これは結構稀なんじゃなかろうか。それに較べて、桜の花の散り際を思い出せない日本人を捜すとなると、こっちはかなり至難の業だと思う。だって、日本の学校には、まるで義務なのかと思うくらい、必ず桜の樹が植わっているもんだし。というか、あれって冗談抜きで義務なんですか? 校庭に桜の樹がない学校なんて、日本の何処かにあるのかなぁ──なんて、そんな風に思うくらい、桜の花は日本人にとって馴染みがある訳で。
そりゃ、特攻機にだって『桜花』なんて名前付けちゃうよね。桜は散り際が一番美しい、お前等も桜のように華々しく潔く死ねと強要されりゃ、日本人としてはもう、ハイ御尤も──としか。
さて。
先日、お天気に恵まれたので、音無川まで桜を観に行って来た。川沿いの遊歩道は、江戸時代から続く桜の名所である飛鳥山の麓あたりから、旧中仙道の板橋の先まで、実に千本以上の桜が延々と続く桜並木になっているのである。
この通りに植えられた桜達は、川沿いに高く築かれた堤防の上から、川面に向かって盛大に下に伸びている。要するに、その枝振りを観る為に頸を上に廻す必要がないのだ。真横を眺めていても、というより俯向いていたって、その見事な枝が視界に入る。
そしてこれが、宿酔いに丁度良い。若干気持ち悪くても、俯向いて漫ろ歩いているだけで、桜の美しさを愛でる事ができる。一所に留まらないから、居眠りする事もないし。
それで、その時は行きがけにソルマックを購入したその足で電車に乗り込み、辿り着いた王子の駅前から、それこそ往復で2時間以上もかけて、だらだらと川沿いを歩いて来たのだった。
今日は土曜日だけど、午後から出勤の予定。これを書き終わったら出ますよ。相変わらず仕事は忙しいけれど、それでもこうやって桜の花を愉しめる瞬間がある事は、かなり幸せに思える。
満開の桜を眺める時に想像するのは、その山の西の斜面に一本だけの桜の老木と、そこに参じる人々の面影。
日本人である事を差し引いても、私の桜への執着もまた、拭い去れないものがある──ような、気がする。
2008年03月03日
憬れの、小田原の海へ。
私が『炎の蜃気楼』シリーズを読み始めたのは高校生の頃で、当時の私は、この小説に非常に影響を受けた。
同じ日本史好きでも、どちらかと言えば幕末一辺倒だった嗜好が戦国時代にも目が向くようになったのはこの小説のお陰だし、例えば太宰の描くユダや、『アマデウス』のサリエリといった人物の抱える愛憎入り交じる想いを(自分なりに)理解したのも、この小説があったからだ。
さて。
当時、この小説はとても流行っていて、去る年の7月に主人公の誕生パーティというのが開催された。公式のイベントではなかったけれど、池袋のホテルの宴会場で、ケーキ食べてクイズやって……みたいな(笑)割と大きなイベントだったように記憶している。規模的には数百人程度だったかな。手元に当時のペーパーが残ってないから、具体的な規模や内容なんかは何とも言えないけど。何しろ、もう10年から昔の話だし。
で、そのイベントの時に偶々同じテーブルになったお姉さんが、「このイベントが終わった後、その足で小田原城に行こうと思ってるんだけど一緒に行く?」と訊いて来た。池袋から小田原までなら、新宿からロマンスカーに乗れば大した距離でもないし、イベント自体もお昼の開催だった事もあって、既に数人小田原行きの賛同者が出ていた。
小田原城は、同小説の中でも殊に人気のある『覇者の魔鏡』の舞台のひとつで、上杉景虎(北条三郎)の故郷でもあったし、何よりその日は彼の誕生パーティだったのだから、これはある意味至極当然の流れとも言えた。
しかし、私は行かなかった。
というより行けなかった。単純にお金がなかったし、それ以上に、小田原という地が遠かった。私は追っかけの習慣なんかもなかったから、具体的にどう行ってどう戻ってくるのか、それにどれくらいのお金がかかるのか、さっぱり判らなかったのだ。
だから、諦めてしまった。
やがて進学して一人暮らしを始め、小田原までの距離はずっと縮まる事になったけれど、それでも私は、終に小田原に行くことはなかった。
ところが、何故か小田原へ行く機会というのが突然巡って来た。つい先月の話である。話の流れで、とにかく小田原へ行くことになった。
小田原行きが決まった瞬間は、「あの日からもう10年は経ってるよなぁ」と思った。「季節が夏なら、7月23日が良かったな」とも思った。でも、多分行くなら今だったんだろうなぁ、と──これは後で痛感した事。人間、辛い時には、楽しかった頃の事を想って浮上する必要がある場合もある。きっと今が、行くには絶好の機会だったのだろう。
小田原城に足を踏み入れたのは、2月23日。酷い強風だったけれど、天気は上々。天守閣からは、小田原の海が観えた。
やっと辿り着いた、小田原城からの、穏やかな海の眺め。10年以上前からずっと憬れていた風景。小説は手元になかったけれど、北条兄弟の会話を思い出し、誕生パーティの日の事を思い出し、寒風吹きすさぶ天守閣で、暫く海を眺めていた。
あの日、ここに来られていたら、私は彼女達とどんな話が出来ただろう。イベントはR15指定だったから、私は参加した人々の中でも一番下の部類の年頃だったと思う。きっと恥ずかしい想いも沢山しただろうな──とか、そんな事を、考えていた。
得るものがあったのかなかったのか、どうも判らない。ずっと憬れ続けていた風景を観る事ができた。でも、それについてどれくらいの感慨があったのか、なかったのか。
日々の仕事に追われて、環境の変化に動揺して。
そんな最中にあの海を観る事で、私は落ち着きを取り戻す事ができたのだろうか。正直なところ、全然そんな気がしないのだけれど……。
でも、とにかく、行けて良かった。
どういう形であれ、憬れ続けた風景を、やっと目にする事ができたのだから。今のところは、とりあえあずこれで良しとしておきたい。
月曜からまた働かなきゃならないし、今日ももう、寝るか。
同じ日本史好きでも、どちらかと言えば幕末一辺倒だった嗜好が戦国時代にも目が向くようになったのはこの小説のお陰だし、例えば太宰の描くユダや、『アマデウス』のサリエリといった人物の抱える愛憎入り交じる想いを(自分なりに)理解したのも、この小説があったからだ。
さて。
当時、この小説はとても流行っていて、去る年の7月に主人公の誕生パーティというのが開催された。公式のイベントではなかったけれど、池袋のホテルの宴会場で、ケーキ食べてクイズやって……みたいな(笑)割と大きなイベントだったように記憶している。規模的には数百人程度だったかな。手元に当時のペーパーが残ってないから、具体的な規模や内容なんかは何とも言えないけど。何しろ、もう10年から昔の話だし。
で、そのイベントの時に偶々同じテーブルになったお姉さんが、「このイベントが終わった後、その足で小田原城に行こうと思ってるんだけど一緒に行く?」と訊いて来た。池袋から小田原までなら、新宿からロマンスカーに乗れば大した距離でもないし、イベント自体もお昼の開催だった事もあって、既に数人小田原行きの賛同者が出ていた。
小田原城は、同小説の中でも殊に人気のある『覇者の魔鏡』の舞台のひとつで、上杉景虎(北条三郎)の故郷でもあったし、何よりその日は彼の誕生パーティだったのだから、これはある意味至極当然の流れとも言えた。
しかし、私は行かなかった。
というより行けなかった。単純にお金がなかったし、それ以上に、小田原という地が遠かった。私は追っかけの習慣なんかもなかったから、具体的にどう行ってどう戻ってくるのか、それにどれくらいのお金がかかるのか、さっぱり判らなかったのだ。
だから、諦めてしまった。
やがて進学して一人暮らしを始め、小田原までの距離はずっと縮まる事になったけれど、それでも私は、終に小田原に行くことはなかった。
ところが、何故か小田原へ行く機会というのが突然巡って来た。つい先月の話である。話の流れで、とにかく小田原へ行くことになった。
小田原行きが決まった瞬間は、「あの日からもう10年は経ってるよなぁ」と思った。「季節が夏なら、7月23日が良かったな」とも思った。でも、多分行くなら今だったんだろうなぁ、と──これは後で痛感した事。人間、辛い時には、楽しかった頃の事を想って浮上する必要がある場合もある。きっと今が、行くには絶好の機会だったのだろう。
小田原城に足を踏み入れたのは、2月23日。酷い強風だったけれど、天気は上々。天守閣からは、小田原の海が観えた。
やっと辿り着いた、小田原城からの、穏やかな海の眺め。10年以上前からずっと憬れていた風景。小説は手元になかったけれど、北条兄弟の会話を思い出し、誕生パーティの日の事を思い出し、寒風吹きすさぶ天守閣で、暫く海を眺めていた。
あの日、ここに来られていたら、私は彼女達とどんな話が出来ただろう。イベントはR15指定だったから、私は参加した人々の中でも一番下の部類の年頃だったと思う。きっと恥ずかしい想いも沢山しただろうな──とか、そんな事を、考えていた。
得るものがあったのかなかったのか、どうも判らない。ずっと憬れ続けていた風景を観る事ができた。でも、それについてどれくらいの感慨があったのか、なかったのか。
日々の仕事に追われて、環境の変化に動揺して。
そんな最中にあの海を観る事で、私は落ち着きを取り戻す事ができたのだろうか。正直なところ、全然そんな気がしないのだけれど……。
でも、とにかく、行けて良かった。
どういう形であれ、憬れ続けた風景を、やっと目にする事ができたのだから。今のところは、とりあえあずこれで良しとしておきたい。
月曜からまた働かなきゃならないし、今日ももう、寝るか。
2007年12月30日
ドラマスペシャル 吉原炎上
今日は久し振りに時代劇の感想なんぞ書いてみようかと。しかし、こういうのいつ振りだろう。
テレビ朝日で放送されていた『吉原炎上』を観たのですよ。
実は私は、1987年に名取裕子が主演した映画『吉原炎上』が結構好きでして。勿論、映画自体は私が小学生の頃に放映されたものなので、実際に観たのはもっと後、TVで再放送されたものです。それもビデオに録った訳でもないので、本当にたった一度しか観ていないのですが、それでも名取裕子の花魁道中の荘厳さと来たらもう……! 三枚歯下駄を履き、八文字で歩くその姿は今でも忘れられません。
素手で電球を割る二宮さよ子や、血で真っ赤に染まった部屋で喀血しながら叫ぶ西川峰子もかなり強烈で、もう一度あの話が観られるなら──と、かなりの期待度だった訳ですが。
「大きな軸として普遍のラブストーリー」「わかりやすさと今日的な意味合い」(共に公式サイトからの引用)って残酷ですね……。
役者が悪かったとか、そういう事は全然思わないんですよ。ただ、現代だとこの程度しか描けないのか──という、ちょっとした心外な想い? 時間帯の割には、井上和香や宮本真希が派手に血を流すのでそれなりにインパクトはあったのでしょうけど、殺害シーンなんかなくても、映画版の方がよっぽど精神的に来たなぁ、と。う〜ん、もしかして「普遍のラブストーリー」を現代的な切り口で捉えようとすると、エロいのは駄目なのでしょうか。でも、男が刃物振り回して裏切られただの何だのと叫んでる姿より、女が血塗れの布団の海で客を取らせろと叫んでる姿の方が、よっぽども訴えかけるものがあるような気がするんですけど。
あと、すっぴんの時の女性達の顔も、余り怖くなくて(笑)それがまた現代的だと思いました。映画版は、すっぴんになった女性達はみんな眉毛が半分なくて。それがまたちょっと、異世界感を出していたというか。
結論から言うと期待外れだったな、と。あと、花魁道中ってのは、かなり華がある人が演じないと難しいのですね。若村麻由美の花魁道中とか、観てみたかったですけど。もう年齢的に演らないかな。
大河ドラマ『利家とまつ』が高視聴率で終わり(余りの電波な展開に、私は途中で観るの辞めたけど。)、フジテレビの『大奥』が流行って、最近は女性主人公の時代劇も珍しくなくなりました。でも、女性が主人公なら何でも良いという訳ではありません。
そう言えば最近、時代劇専門チャンネルで再放送していた、岸谷五朗の『仕掛人 藤枝梅安』を観たんですよ。確かこれは監督が『大奥』の演出と同じく林徹なんですけど。
で、この梅安を観たら、どうしても番組内に登場していた風呂吹きき大根が食べたくなってしまって、大根買っちゃったんですよね。大根は勿論、風呂吹き大根と(皮を)きんぴらにして美味しく戴いたんですけど、要するに、そういう事なんじゃないかと思います。
テレビ朝日で放送されていた『吉原炎上』を観たのですよ。
実は私は、1987年に名取裕子が主演した映画『吉原炎上』が結構好きでして。勿論、映画自体は私が小学生の頃に放映されたものなので、実際に観たのはもっと後、TVで再放送されたものです。それもビデオに録った訳でもないので、本当にたった一度しか観ていないのですが、それでも名取裕子の花魁道中の荘厳さと来たらもう……! 三枚歯下駄を履き、八文字で歩くその姿は今でも忘れられません。
素手で電球を割る二宮さよ子や、血で真っ赤に染まった部屋で喀血しながら叫ぶ西川峰子もかなり強烈で、もう一度あの話が観られるなら──と、かなりの期待度だった訳ですが。
「大きな軸として普遍のラブストーリー」「わかりやすさと今日的な意味合い」(共に公式サイトからの引用)って残酷ですね……。
役者が悪かったとか、そういう事は全然思わないんですよ。ただ、現代だとこの程度しか描けないのか──という、ちょっとした心外な想い? 時間帯の割には、井上和香や宮本真希が派手に血を流すのでそれなりにインパクトはあったのでしょうけど、殺害シーンなんかなくても、映画版の方がよっぽど精神的に来たなぁ、と。う〜ん、もしかして「普遍のラブストーリー」を現代的な切り口で捉えようとすると、エロいのは駄目なのでしょうか。でも、男が刃物振り回して裏切られただの何だのと叫んでる姿より、女が血塗れの布団の海で客を取らせろと叫んでる姿の方が、よっぽども訴えかけるものがあるような気がするんですけど。
あと、すっぴんの時の女性達の顔も、余り怖くなくて(笑)それがまた現代的だと思いました。映画版は、すっぴんになった女性達はみんな眉毛が半分なくて。それがまたちょっと、異世界感を出していたというか。
結論から言うと期待外れだったな、と。あと、花魁道中ってのは、かなり華がある人が演じないと難しいのですね。若村麻由美の花魁道中とか、観てみたかったですけど。もう年齢的に演らないかな。
大河ドラマ『利家とまつ』が高視聴率で終わり(余りの電波な展開に、私は途中で観るの辞めたけど。)、フジテレビの『大奥』が流行って、最近は女性主人公の時代劇も珍しくなくなりました。でも、女性が主人公なら何でも良いという訳ではありません。
そう言えば最近、時代劇専門チャンネルで再放送していた、岸谷五朗の『仕掛人 藤枝梅安』を観たんですよ。確かこれは監督が『大奥』の演出と同じく林徹なんですけど。
で、この梅安を観たら、どうしても番組内に登場していた風呂吹きき大根が食べたくなってしまって、大根買っちゃったんですよね。大根は勿論、風呂吹き大根と(皮を)きんぴらにして美味しく戴いたんですけど、要するに、そういう事なんじゃないかと思います。




