実は、4月は2度も Bunkamura オーチャードホール に脚を運んでいたのでした。
という訳で、今更ながらですが、4月15日にスタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場バレエ及び国立モスクワ音楽劇場管弦楽団(何処を略して良いか判らん。)の『エスメラルダ』を観に行って参りました。原作はビクトル・ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』。『ノートルダム・ド・パリ』と言えば、今だと、ディズニーの『ノートルダムの鐘』を思い出す人もいると思うのですが、あれはディズニーというかアメリカっぽくハッピーエンドになっているので、物語が全く違うものになってるんですよね。実際のユゴーの作品の方は、至って昏く救いようがない話で、誰も幸せにはならない。なれない。でも、私はどちらかというとこっちの方が好み。日本人の感性にもこっちの方が合うと思うんだけど。
全然関係ないけど、人魚姫も『リトルマーメイド』よりは、強かに永遠の命を手に入れる原作の人魚姫の方が好きですよ。
今回の『エスメラルダ』はブルメイステル版と呼ばれるものなのですが、それ以前の問題として、私は『エスメラルダ』をバレエで観た事が一度もなかったので、今回はこの全幕通して『エスメラルダ』を観るというのが私の目的。
音楽:チェーザレ・プーニ/レイゴリト・グリエール/セルゲイ・ワシレンコ
台本:ワシリー・チホミーロフ/ウラジーミル・ブルメイステル
美術:アレクサンダー・ルーシン
振付・演出:ウラジーミル:ブルメイステル(1950年)
リバイバル版演出:セルゲイ・フィーリン(2009年)
私が行ったのは15日の回なのでキャストは以下の通り。
エスメラルダ:ナターリヤ・レドフスカヤ(シニア・プリンシパル)
エスメラルダ子役:クセーニャ・ベローワ
フェビュス:ゲオルギー・スミレフスキ(シニア・プリンシパル)
クロード:フロロ:ウラジーミル・キリーロフ(ゲスト・ダンサー)
カジモド:アントン・ドマショーフ
グドゥラ:インナ・ギンケーヴィチ
フルール・ド・リス:アミーロワ
ジプシー:イリーナ・ベラヴィナ
将校:ドミトリー・ハムジン/セルゲイ・クジミン
道化:デニス・アキンフェーエフ/デニス・ペルコフスキー/アレクセイ・ポポーフ
王:ドミトリー・ロマネンコ/セルゲイ・マヌイロフ/イリーヤ・ウルーソフ
ジェンジェーリ:アンナ・ヴォロンコーワ
ヴェリエーション:マリア・クラマレンコ/マリーヤ・セメニャチェンコ/カリーナ・ジートコワ
カジモドは所謂シニア・プリンシパルが演るのかと思ってたのですが、この「ノートルダム・ド・パリ」はエスメラルダが主人公なので、エスメラルダとフェビュスをシニア・プリンシパルが演じる形で、カジモドは意外にも普通のソリスト(いや、ソリストだって、凄いんだけど)。
とは言え今回驚いたのは、それだけではなくて……特にコールド! もうバンバン踊るんだ、これが。余り多くバレエを観てる訳じゃないけれど、コールドがこれだけ動き回るのって、ちょっと吃驚する。ジプシーも「この人がエスメラルダなの?」と思うくらいソロでガンガン踊るし。もっともエスメラルダはジプシーの後に満を持しての登場なのだけど。
こう言っちゃ何だけど、エスメラルダもフェビュスも本当に素人目に観てもそりゃ当然に上手いんだけど、これだけコールドも激しく動いていると、そこまで飛び抜けて凄いのかが判らなくなる。エスメラルダがコールドを従えて踊るような場面が殆どない所為なのかもしれない。(エスメラルダが踊るシーンは、舞台上の人々は概ねそれを眺めてるってパタンが多いのだ。後はフェビュスとのパ・ドゥ・ドゥとか。)コールドを従えて踊るようなシーンがあると、シニア・プリンシパルなんて飛び抜けて目立つから一発なんだけどなぁ。逆に言うと、全体的に完成度が高いのか。
それにしても、シアター・オン・アイスなんかでも感じたのだけれど、コールドの見せ場が凄く多かった印象。これって、古典的なロシアバレエの演出としては定番なんだろうか。サーカスが盛んだから、全体的にみんな動くの当たり前なのかな。
また、踊りだけでなく舞台装置や中幕なんかも素晴らしくて、美術も凄く良い仕事してると思いました。幕が降りてる状態でも、舞台は溜息吐きたくなるような美しさ。舞台が上がっても、街角の柱ひとつ取っても美しかったのですよ。
セルゲイ・フィーリン演出の舞台がまた来日したら観に行きたいと思いつつ、次回は今回諦めてしまった『白鳥の湖』も観てみたいなぁ、などと。やっぱり、この辺りの演目はロシアのお家芸だしね。でも、日本では余り見かけない演目も観たいな……。
2010年05月05日
2009年09月14日
三菱一号館竣公記念展シンポジウム「三菱一号館と丸の内の魅力」
このところ深夜残業続きで、気分転換に少し遠回りをして帰る事が多い。勿論終電に余裕があればの話だけど。
そうすると、選んだ道筋に依っては、ライトアップされた三菱一号館の姿を観る事ができる。以前からこの建物が美術館になる事は知っていたから、白い防護壁が取り除かれてこの建物の姿が現れた時には、ひとりほくそ笑んだものである。余りこういう悦びを分かち合う人がいないので、ひとりで盛り上がるしかなかっただけだけど。
さて。日経ビジネスオンラインで連載されている記事のひとつに『東京オトナの修学旅行 赤瀬川原平×山下裕二』というのがある。(ユーザ登録をしないと全ての記事が読めないのがやや難。)個人的にこの記事が大好きな私としては、新しい記事が上がると読んでいたりするのだけど、今回、三菱一号館竣公記念展シンポジウムの第二部『丸の内考現学―コンドルと河鍋暁斎、そして丸の内町歩きの魅力』のパネリストの中に、私は件の記事の山下裕二氏と赤瀬川原平氏の名前を見つけてしまう。
という訳で、このおふたりの軽妙なトークが聴きたいばっかりに、第二部にだけ参加する事にしてしまったのだ。
午前中の部の『コンドルの足跡と丸の内の原点・三菱一号館の復元』の方は、割と堅い内容だったらしいのだけど、午後の『丸の内考現学―コンドルと河鍋暁斎、そして丸の内町歩きの魅力』の方は、内容云々というよりパネリストの色合いからして雰囲気弛め。
因みにシンポジウムの登壇者は下記の通り。
山下裕二氏(モデレーター/明治学院大学教授)
赤瀬川原平氏(美術家、作家)
木下直之氏(東京大学大学院教授)
南伸坊氏(イラストライター)
野村和宣氏(三菱地所設計)
元の三菱一号館自体が私の生まれる前に取り壊されていた事もあって、あの建物が、そもそも今回再建されたあの場所に立っていたという事実も、野村さんの「一号館復元のプロセス」のプレゼンで初めて知った話だったし、江戸時代の地図や、明治時代の写真と共に語られる丸の内の変遷も興味深く、パネルディスカッションの方も非常に楽しく拝聴。当時の地図やら写真やらというのは、丸の内の地理が良く解っていると、面白さ倍増なのだな。
勿論、フェノロサと並んで語れる事の多いコンドル(因みに山下先生曰く、フェノロサは「上から目線」だけど、コンドルは「良いヤツ」らしいです。)と、日本画壇では何故かそこまで評価が高くない河鍋暁斎との関係性も意外性があったし、『ビルヂング事務所研究會寫真帖』の写真の抜粋も大変面白かったです。
『ビルヂング事務所研究會寫真帖』については、帰りに行幸地下通路で展示されている同写真展も覗いて来たのだけど、椅子ヲタっぷりがちょっと緩和されていて残念でした。(笑)まぁ、一般市民向けには正しい形なのでしょうが。
ちなみに、一号館と言うからには二号館もあった訳ですが、その場所には現在、重要文化財の明治生命館が立っています。まぁアレもアレで格好良いっちゃ格好良いけど……あそこは隣のビルとの連結がなぁ。
あと、全然関係ないけれど、何故かパネルディスカッションの時に出てきた現在の三菱一号館の写真が、本城直季の「small planet」みたいな状態になっていたのが印象的でした。こうして視ると確かに、格調というのは積み上げてきた時間によって築かれるもの──というのも納得できると言うか。歴史の無いものはどんなに美しくても、結局のところ模型と見分けがつかないものなのかも。
今回、木下直之氏が「是非、三菱一号館美術館で河鍋暁斎の展覧会を」と仰っていましたが、これは大賛成。是非観たいです。よろしくお願いします。
そうすると、選んだ道筋に依っては、ライトアップされた三菱一号館の姿を観る事ができる。以前からこの建物が美術館になる事は知っていたから、白い防護壁が取り除かれてこの建物の姿が現れた時には、ひとりほくそ笑んだものである。余りこういう悦びを分かち合う人がいないので、ひとりで盛り上がるしかなかっただけだけど。
さて。日経ビジネスオンラインで連載されている記事のひとつに『東京オトナの修学旅行 赤瀬川原平×山下裕二』というのがある。(ユーザ登録をしないと全ての記事が読めないのがやや難。)個人的にこの記事が大好きな私としては、新しい記事が上がると読んでいたりするのだけど、今回、三菱一号館竣公記念展シンポジウムの第二部『丸の内考現学―コンドルと河鍋暁斎、そして丸の内町歩きの魅力』のパネリストの中に、私は件の記事の山下裕二氏と赤瀬川原平氏の名前を見つけてしまう。
という訳で、このおふたりの軽妙なトークが聴きたいばっかりに、第二部にだけ参加する事にしてしまったのだ。
午前中の部の『コンドルの足跡と丸の内の原点・三菱一号館の復元』の方は、割と堅い内容だったらしいのだけど、午後の『丸の内考現学―コンドルと河鍋暁斎、そして丸の内町歩きの魅力』の方は、内容云々というよりパネリストの色合いからして雰囲気弛め。
因みにシンポジウムの登壇者は下記の通り。
山下裕二氏(モデレーター/明治学院大学教授)
赤瀬川原平氏(美術家、作家)
木下直之氏(東京大学大学院教授)
南伸坊氏(イラストライター)
野村和宣氏(三菱地所設計)
元の三菱一号館自体が私の生まれる前に取り壊されていた事もあって、あの建物が、そもそも今回再建されたあの場所に立っていたという事実も、野村さんの「一号館復元のプロセス」のプレゼンで初めて知った話だったし、江戸時代の地図や、明治時代の写真と共に語られる丸の内の変遷も興味深く、パネルディスカッションの方も非常に楽しく拝聴。当時の地図やら写真やらというのは、丸の内の地理が良く解っていると、面白さ倍増なのだな。
勿論、フェノロサと並んで語れる事の多いコンドル(因みに山下先生曰く、フェノロサは「上から目線」だけど、コンドルは「良いヤツ」らしいです。)と、日本画壇では何故かそこまで評価が高くない河鍋暁斎との関係性も意外性があったし、『ビルヂング事務所研究會寫真帖』の写真の抜粋も大変面白かったです。
『ビルヂング事務所研究會寫真帖』については、帰りに行幸地下通路で展示されている同写真展も覗いて来たのだけど、椅子ヲタっぷりがちょっと緩和されていて残念でした。(笑)まぁ、一般市民向けには正しい形なのでしょうが。
ちなみに、一号館と言うからには二号館もあった訳ですが、その場所には現在、重要文化財の明治生命館が立っています。まぁアレもアレで格好良いっちゃ格好良いけど……あそこは隣のビルとの連結がなぁ。
あと、全然関係ないけれど、何故かパネルディスカッションの時に出てきた現在の三菱一号館の写真が、本城直季の「small planet」みたいな状態になっていたのが印象的でした。こうして視ると確かに、格調というのは積み上げてきた時間によって築かれるもの──というのも納得できると言うか。歴史の無いものはどんなに美しくても、結局のところ模型と見分けがつかないものなのかも。
今回、木下直之氏が「是非、三菱一号館美術館で河鍋暁斎の展覧会を」と仰っていましたが、これは大賛成。是非観たいです。よろしくお願いします。
2009年02月21日
ジョン・ノイマイヤー芸術監督就任35周年記念 ハンブルク・バレエ 2009年『人魚姫』
さて。過日、詳細は後ほど──などと書いて何日過ぎたのか数えたくもないですが(苦笑)12日にジョン・ノイマイヤー芸術監督就任35周年記念公演、ハンブルク・バレエ団の『人魚姫』を観に、NHKホールまで行って参りました。この日は、『人魚姫』の正真正銘の日本初公演の回だった事もあり、入口には「大使館関係者受付」の看板も。外国人の観客も結構多い印象でした。
今回のツアーでは『椿姫』の再演もあったそうなのですが、これは1997年の日本初演の時の公演を観ているのでとりあえずパス。(金銭的な事情以外の何物でもありませんが。)とは言え、パンフレットを購入したところ、『椿姫』にはヨハン・ステグリが出るとの記載もあり……。彼は服部有吉の舞台にも登場してるとあって、日本でも割りとお馴染みな存在だし、これはこれで観たかったかもなぁ。
ま、そういうの言ってると切りがないけど。
さて、今回の『人魚姫』は何と生オケ演奏。開演時刻になってまず始まったのはオーケストラの音合わせでした。因みに、この作品は全二幕だったのですが、休憩を挟んで二幕目が始まるときもやっぱり最初が音合わせで、休憩中に点でバラバラに音を奏でる楽器をBGMにしてロビーでワインを呑んでいる人々の姿と言い、きっちり着席した観客を前にして始まった音合わせと言い、色々な意味で新鮮でした、私には。
人魚姫役を演じたシルヴィア・アッツォーニは身長が驚くほど小さくて……。今回の舞台にはなんと歌舞伎に出てくる黒子がいて、アッツォーニが人魚の間は、3人の黒子が彼女の体をリフトして(この表現合ってるのか……。)波にたゆたう魚の尾をも表現しているのですが、まぁ、この黒子と衣装のお陰もあってか、人魚を演じている間は、彼女の小さい感じというのは余り気にならないのです。それが、彼女が魔法使いから貰った薬を呑む事で尾が剥げ落ちて人間になる瞬間や、特にその後、人間になっしまってからは、上手く歩けない事や、王子と結婚できない事などがどんどん彼女を卑屈にしていく様が、その身長の小ささ故に倍増されて引き立ったというか……そんな風に感じました。これが王女役のエレーヌ・ブシェだと、ちょっと難しいんじゃないかしら──などと思ってしまうのだけれど、確か15日の公演の配役では、ブシェが人魚姫なんだよなぁ。どうだったんだろう。15日を観た人の感想とかももっと聴きたいなぁ。他の方のレビューも少しだけ拝見したのだけれど、これは賛否両論なのかな。
アッツォーニ演じる人魚姫は、人魚の頃は本当に美しく活発で華があって、観ている側としても「なんてパワフルなお姫様なの」と思えてしまう程。けれど人間になってからは全然無様で……というか、無様に見せてて。その、醜く見せる技術、そして演出が非常に衝撃的でした。巧い人に、非常に姿勢の悪い姿で舞台に立たせる。人間のドレスが、全く似合って見えない。その劇的な差がアッツォーニの技術によるものなのか、それともノイマイヤーの振りによるものなのか、まぁ多分両方ではあるのだけれど、とにかくこの日の人魚姫は圧巻でした。
その他にも、魔法使いも顔に歌舞伎役者のような隈取があって、元々ノイマイヤーの演出自体が前衛的ではあるのだけれど、この人は割りと日本趣味というか、日本の舞台演出を結構取り入れてる感じが判ります。人魚が人間になる瞬間の演出なんかも、舞台で幾重にも衣装を脱いでゆく様など、個人的には驚きの嵐。
カーテンコールではダンサーらと共に、オーケストラのソリスト(コンサートマスタかも。)、コンダクタ、そしてノイマイヤーも登場し、特にノイマイヤー登場の際には、場内割れんばかりの拍手に包まれました。
私は元々、男が描く女々しい物語が大好きな質で、それは今回のアンデルセンの『人魚姫』然り、デュマ・フィスの『椿姫』、オスカー・ワイルドの『幸福な王子』、極め付けには平井堅の描く歌詞なんかもストライクゾーンだったりします。(笑)なので今回、この作品を観に行くのは必然だったのだけれど、今月はバレエ好きな人には大変だっただろうな。他にも日程被ってたのあったみたいだし。
今回のツアーでは『椿姫』の再演もあったそうなのですが、これは1997年の日本初演の時の公演を観ているのでとりあえずパス。(金銭的な事情以外の何物でもありませんが。)とは言え、パンフレットを購入したところ、『椿姫』にはヨハン・ステグリが出るとの記載もあり……。彼は服部有吉の舞台にも登場してるとあって、日本でも割りとお馴染みな存在だし、これはこれで観たかったかもなぁ。
ま、そういうの言ってると切りがないけど。
さて、今回の『人魚姫』は何と生オケ演奏。開演時刻になってまず始まったのはオーケストラの音合わせでした。因みに、この作品は全二幕だったのですが、休憩を挟んで二幕目が始まるときもやっぱり最初が音合わせで、休憩中に点でバラバラに音を奏でる楽器をBGMにしてロビーでワインを呑んでいる人々の姿と言い、きっちり着席した観客を前にして始まった音合わせと言い、色々な意味で新鮮でした、私には。
人魚姫役を演じたシルヴィア・アッツォーニは身長が驚くほど小さくて……。今回の舞台にはなんと歌舞伎に出てくる黒子がいて、アッツォーニが人魚の間は、3人の黒子が彼女の体をリフトして(この表現合ってるのか……。)波にたゆたう魚の尾をも表現しているのですが、まぁ、この黒子と衣装のお陰もあってか、人魚を演じている間は、彼女の小さい感じというのは余り気にならないのです。それが、彼女が魔法使いから貰った薬を呑む事で尾が剥げ落ちて人間になる瞬間や、特にその後、人間になっしまってからは、上手く歩けない事や、王子と結婚できない事などがどんどん彼女を卑屈にしていく様が、その身長の小ささ故に倍増されて引き立ったというか……そんな風に感じました。これが王女役のエレーヌ・ブシェだと、ちょっと難しいんじゃないかしら──などと思ってしまうのだけれど、確か15日の公演の配役では、ブシェが人魚姫なんだよなぁ。どうだったんだろう。15日を観た人の感想とかももっと聴きたいなぁ。他の方のレビューも少しだけ拝見したのだけれど、これは賛否両論なのかな。
アッツォーニ演じる人魚姫は、人魚の頃は本当に美しく活発で華があって、観ている側としても「なんてパワフルなお姫様なの」と思えてしまう程。けれど人間になってからは全然無様で……というか、無様に見せてて。その、醜く見せる技術、そして演出が非常に衝撃的でした。巧い人に、非常に姿勢の悪い姿で舞台に立たせる。人間のドレスが、全く似合って見えない。その劇的な差がアッツォーニの技術によるものなのか、それともノイマイヤーの振りによるものなのか、まぁ多分両方ではあるのだけれど、とにかくこの日の人魚姫は圧巻でした。
その他にも、魔法使いも顔に歌舞伎役者のような隈取があって、元々ノイマイヤーの演出自体が前衛的ではあるのだけれど、この人は割りと日本趣味というか、日本の舞台演出を結構取り入れてる感じが判ります。人魚が人間になる瞬間の演出なんかも、舞台で幾重にも衣装を脱いでゆく様など、個人的には驚きの嵐。
カーテンコールではダンサーらと共に、オーケストラのソリスト(コンサートマスタかも。)、コンダクタ、そしてノイマイヤーも登場し、特にノイマイヤー登場の際には、場内割れんばかりの拍手に包まれました。
私は元々、男が描く女々しい物語が大好きな質で、それは今回のアンデルセンの『人魚姫』然り、デュマ・フィスの『椿姫』、オスカー・ワイルドの『幸福な王子』、極め付けには平井堅の描く歌詞なんかもストライクゾーンだったりします。(笑)なので今回、この作品を観に行くのは必然だったのだけれど、今月はバレエ好きな人には大変だっただろうな。他にも日程被ってたのあったみたいだし。
2009年02月13日
もう一度、「最後の『ボレロ』」を。── ベジャール追悼特別公演シリーズV ベジャール・ガラ
9日にモーリス・ベジャール追悼特別公演、東京バレエ団のベジャール・ガラに行って参りました。
と、言っても。以前にも話した事があるかもしれないけれど、実は私、正直なところモーリス・ベジャールという振付師の創る振りが苦手です。(断言。)難解なのだ。何しろ、以前観た『ドン・ジョヴァンニ』には、主人公であるドン・ジョヴァンニが全く出てこなかった。それだけでも、この人の創る作品がいかに前衛的であるかを物語っていると言うもので。
それでもあえて今回出掛ける理由があったとしたなら、矢張りそれは、今回限りの復活と銘打たれたシルヴィ・ギエムの『ボレロ』。勿論、2005年の『シルヴィ・ギエム 最後の「ボレロ」』も、観に行きはした──のだけれど。何しろあの時の私は、左の目が視えてはいなかった。
だからもうずっと、できれば両の目が視える時に、ギエムのボレロが観たかった──と。そう、思っていたのだ。だから今回の公演はある意味渡りに船で……勿論、追悼公演だから、そういう言い方はとても失礼ではあるのだけれど。それでもとても、楽しみにしていたのだ。
という訳で、その辺もまた後程。
と、言っても。以前にも話した事があるかもしれないけれど、実は私、正直なところモーリス・ベジャールという振付師の創る振りが苦手です。(断言。)難解なのだ。何しろ、以前観た『ドン・ジョヴァンニ』には、主人公であるドン・ジョヴァンニが全く出てこなかった。それだけでも、この人の創る作品がいかに前衛的であるかを物語っていると言うもので。
それでもあえて今回出掛ける理由があったとしたなら、矢張りそれは、今回限りの復活と銘打たれたシルヴィ・ギエムの『ボレロ』。勿論、2005年の『シルヴィ・ギエム 最後の「ボレロ」』も、観に行きはした──のだけれど。何しろあの時の私は、左の目が視えてはいなかった。
だからもうずっと、できれば両の目が視える時に、ギエムのボレロが観たかった──と。そう、思っていたのだ。だから今回の公演はある意味渡りに船で……勿論、追悼公演だから、そういう言い方はとても失礼ではあるのだけれど。それでもとても、楽しみにしていたのだ。
- 「ギリシャの踊り」
-
以前にも観た事のある作品。ベジャールの象徴的で前衛的な側面を物凄く色濃く出していると言うか……ある意味、とても苦手な作品です。音楽は素敵で好きなのだけど。苦手意識があるだけに、できれば割と好きなダンサー──上野水香が出ていて中島周のソロがある回──を観に行ければ良かったなぁ、とも思ったのですが、それを選択すると首藤康之が観られないという事で、チケットの購入時にちょっとした葛藤がありました。結局(特に上野水香に関しては完全に)諦めた訳ですが。
因みに隣の席の女性は、舞台無視して物凄い勢いで眠ってました。まぁ、ギエム目当てで他の演目はどうでも良かったみたいだけど。 - 「中国の不思議な役人」
-
この作品、原作のストーリィは割と好きなんです。(笑)頽廃的で、結構好みなストーリィ展開なのですが──何しろベジャールの手にかかると、その話の主人公が出てこなかったりしますから、この作品も一体どうなる事か……とも思いつつ、中国の役人は首藤康之が演じると言う事で、ストーリィは比較的忠実なのかな、等と期待してもみたのですが。
しかし、そこは逆の意味で期待を裏切らないベジャール作品──と言う事で、ミミ(主人公とも言える女性)は思い切り男性が演じておりました……。しかも役名は『無二の無頼漢』。何故そうなる。本来は臆病な女性のはずなのですが……。そして、そんな彼女を演じたのは宮本祐宜でした。
しかし首藤康之と言い、宮本祐宜と言い、踊りが大きい。ふたりだけ別世界にいるみたいでした。ホント、あれだけコールドが大人数いるのに、とにかく目立つ。特に首藤康之に関しては、2006年に『HS06』を観た時にも、外国人と並んで尚、強烈な存在感があったのですが、今回も別格でした。この話における彼は何度も殺される役ですし、その度に不気味に起き上がってくるのがまた──この回選んで良かった。不気味で最高でした。 - 「ボレロ」
-
『ギリシャの踊り』の時にはがっつり眠っていた隣の女性ですが、『ボレロ』になった途端、オペラグラス持って大暴れ……。興奮するのは結構だけど、腕の動きが視界に入ってきて大変不快でした。機嫌良く眠り続けてくれてれば良かったのに。お父様(パパだったのかも)がご一緒だったのに注意なさらないし……全く。別に、オペラグラスを持っている人が不快だと言っている訳ではありません。そんな方は沢山いらっしゃいます。暴れなきゃ良いんです。
さて。
ボレロというのは約15分の曲ですが、この演目の恐ろしさは、この約15分の間、観客の視線が緋い円卓で踊るただ独り注がれ続けると言う点にあると思います。良く観るとコールドもかなり壮観(クライマックスでは、コールドの男性全員が円卓の周囲に集まって激しい踊りをするのですが、これがまた誰一人指一本ぶつからない訳です。これって凄い事だと思うんですけど。)なのですが、何しろスポットライトは究極的に円卓の上を照らし続けるし、曲はずっと同じパタンの繰り返しで休む部分がありません。しかも、クライマックスは一番最後。こんな意地の悪い音楽と意地の悪い演出って……とか思うのですが。
でも、だからこそ、ベジャールの振付ける『ボレロ』という作品を完全に踊り切る事のできるダンサーは素晴らしいのだと。そう思います。
そんな訳で、シルヴィ・ギエムという世紀の天才ダンサーのボレロを再び、しかも本当の最後の回を観る事が出来たことを、とても幸せに思います。拍手することも忘れる程の圧倒が、そこにはあって。
今度こそ、観ましたとも。ギエムのボレロを。
という訳で、その辺もまた後程。
2006年08月08日
服部有吉&首藤康之パートナーシップ・プロジェクト2006
服部有吉&首藤康之パートナーシップ・プロジェクト2006『HS06』の千秋楽公演に行って参りました……。
はい……。千秋楽公演だったんですけども。ファンの方々はここを読むまでもなくご存知でしょうが、この千秋楽公演には第二幕がありませんでした。元は、第一幕が『Homo Science』で、第二幕が『ゴーシュ』というプログラムだったのですが、この『ゴーシュ』がすっぽり演じられなかった。
当日は開始時刻の10分前くらいに渋谷のシアター・コクーンに着いたのですが、10分前とは思えないほどの入口の混雑っぷり……。何事かと思えば、この貼紙。
『本日、服部有吉は昨晩の公演にて右足首靭帯を損傷いたしましたため、出演できません』。チケットの払い戻し応じます――とも。
いや、チケット払い戻さなくて良いから、服部有吉と首藤康之が同じ舞台で舞ってるのを観たかったんですが……と言うか。3月のTOIの時にも思ったけど、千秋楽公演ってどうも諸刃の剣だなぁ。
そんな訳で、千秋楽公演はなんと第一幕の『Homo Science』のみ。それも服部有吉を除く5人キャスト。そして第二幕に替えて、この『Homo Science』のワークショップを1時間程度という構成で行われました。う〜ん、レアだ。本来なら服部有吉を入れて6人で演じられるべき第一幕が5人で完結する振りに変更されたのも、この千秋楽公演とその前の回くらいだろうし(詳細は知らない)、ワークショップ自体も千秋楽公演だけだろうし。そもそもこのコラボ企画自体映像化されないようだから、それこそレア中のレアな回だった訳だよね。
実際のところ、第二幕が失くなった事を差し引いても、このワークショップの存在と言うのはかなり大きかっと思う。要は『Homo Science』が演じられた後に、振りの意図やエピソードが語られたんだけど。でも、これが意外に面白かった。
ざっと幾つか思い出せるエピソードとして、まずブランコの話。通常、ダンサーが登場するのは舞台の袖からだけど、この『Homo Science』では、(幕が上がった時点で既に舞台にいるひとり以外は)全員がブランコに乗って天井から降りてくる。このブランコについて、初期の服部の案はブランコの座椅子部分はなしで両の二の腕だけを固定して降りてくるというもので、ステグリに至っては肘から先のみを固定するだけ――というような案を出したもので、これが総反対に遭ったという話。
出演者全員が舞台に揃った段階では、全員胸から上を固定させて動かさない事でロボットらしい動きを演出した事。腕の筋肉の動きで回路を表現した事。表情は「無表情」「口だけの無機的な笑み」「人間の笑み」の三種類のみに絞った事。
ストーリィとして、5体の中に1体だけウィルスに感染したロボットがいて、その彼の「遊んでいた玩具(とある1体)が壊れてしまった」から始まって、次に「意図的に(第三者に見せつけながら)1体を殺」し、自衛の為に「自らシャットダウン」した者の存在と、更に調子に乗って遊んでいたら、矢張り「勢い余って1体を壊し」てしまい、それを観ていた科学者に、自らも強制シャットダウンを喰らうまで――みたいな。う〜ん、巧く伝えられない。(笑)本物観て……って言っても、もう二度と観る機会のないプロだろうしなぁ。
会場から感嘆の声が漏れたのは遠隔パドドゥの話で、ストーリィの最後の方で演じられる首藤とステグリのソロのダンスが、実際にはパドドゥになっているというもの。私は全然気付かなかったんだけど(苦笑)、成程ふたりの立ち位置を正しい位置関係に持ってくると、綺麗なパドドゥになっていて――実際にその正しい立ち位置に立って踊ってくれたものだから、この時ばかりは場内から溜息が出た。
順番はランダムだけど、大体こういうエピソードが一通り語られて、その後に質疑応答の時間もあった。最後に出演者のひとりひとりから、簡単な挨拶があって、ブシェーと首藤の口から苦笑と共に語られた、動きの制限された難しい振りに全身痣だらけになったという話には、場内からさざめくような笑いが起こった。
個人的には、ステージの上に無造作に座るダンサー達の図にもちょっと感動。(笑)小学生の頃に読んだバレエ漫画張りの光景が目の前に広がっている不思議。ダンサーの動きってその所作ひとつとっても独特なので、私のような素人はそれだけで見蕩れてしまう。
ワークショップは面白かったし、色々な意味でレアな回だったと思います。
――でもさ。
私は初めて生で観たバレエ公演が、ハンブルクバレエ団の『椿姫』で。そしてハンブルクバレエ団と言えばノイマイヤー振付のイメージが強かったから、そのハンブルクバレエ団で私とそう年齢の変わらない日本人の男性が振付師になったと聞いて、酷く驚いたんだよね。だから、そんな彼のダンスを生で観てみたかった。
ベジャールの『ボレロ』を赦された首藤康之と、この服部有吉という人が同じ舞台の上で舞うのを、観てみたかったんだよなぁ……。
はい……。千秋楽公演だったんですけども。ファンの方々はここを読むまでもなくご存知でしょうが、この千秋楽公演には第二幕がありませんでした。元は、第一幕が『Homo Science』で、第二幕が『ゴーシュ』というプログラムだったのですが、この『ゴーシュ』がすっぽり演じられなかった。
当日は開始時刻の10分前くらいに渋谷のシアター・コクーンに着いたのですが、10分前とは思えないほどの入口の混雑っぷり……。何事かと思えば、この貼紙。
『本日、服部有吉は昨晩の公演にて右足首靭帯を損傷いたしましたため、出演できません』。チケットの払い戻し応じます――とも。
いや、チケット払い戻さなくて良いから、服部有吉と首藤康之が同じ舞台で舞ってるのを観たかったんですが……と言うか。3月のTOIの時にも思ったけど、千秋楽公演ってどうも諸刃の剣だなぁ。
そんな訳で、千秋楽公演はなんと第一幕の『Homo Science』のみ。それも服部有吉を除く5人キャスト。そして第二幕に替えて、この『Homo Science』のワークショップを1時間程度という構成で行われました。う〜ん、レアだ。本来なら服部有吉を入れて6人で演じられるべき第一幕が5人で完結する振りに変更されたのも、この千秋楽公演とその前の回くらいだろうし(詳細は知らない)、ワークショップ自体も千秋楽公演だけだろうし。そもそもこのコラボ企画自体映像化されないようだから、それこそレア中のレアな回だった訳だよね。
実際のところ、第二幕が失くなった事を差し引いても、このワークショップの存在と言うのはかなり大きかっと思う。要は『Homo Science』が演じられた後に、振りの意図やエピソードが語られたんだけど。でも、これが意外に面白かった。
ざっと幾つか思い出せるエピソードとして、まずブランコの話。通常、ダンサーが登場するのは舞台の袖からだけど、この『Homo Science』では、(幕が上がった時点で既に舞台にいるひとり以外は)全員がブランコに乗って天井から降りてくる。このブランコについて、初期の服部の案はブランコの座椅子部分はなしで両の二の腕だけを固定して降りてくるというもので、ステグリに至っては肘から先のみを固定するだけ――というような案を出したもので、これが総反対に遭ったという話。
出演者全員が舞台に揃った段階では、全員胸から上を固定させて動かさない事でロボットらしい動きを演出した事。腕の筋肉の動きで回路を表現した事。表情は「無表情」「口だけの無機的な笑み」「人間の笑み」の三種類のみに絞った事。
ストーリィとして、5体の中に1体だけウィルスに感染したロボットがいて、その彼の「遊んでいた玩具(とある1体)が壊れてしまった」から始まって、次に「意図的に(第三者に見せつけながら)1体を殺」し、自衛の為に「自らシャットダウン」した者の存在と、更に調子に乗って遊んでいたら、矢張り「勢い余って1体を壊し」てしまい、それを観ていた科学者に、自らも強制シャットダウンを喰らうまで――みたいな。う〜ん、巧く伝えられない。(笑)本物観て……って言っても、もう二度と観る機会のないプロだろうしなぁ。
会場から感嘆の声が漏れたのは遠隔パドドゥの話で、ストーリィの最後の方で演じられる首藤とステグリのソロのダンスが、実際にはパドドゥになっているというもの。私は全然気付かなかったんだけど(苦笑)、成程ふたりの立ち位置を正しい位置関係に持ってくると、綺麗なパドドゥになっていて――実際にその正しい立ち位置に立って踊ってくれたものだから、この時ばかりは場内から溜息が出た。
順番はランダムだけど、大体こういうエピソードが一通り語られて、その後に質疑応答の時間もあった。最後に出演者のひとりひとりから、簡単な挨拶があって、ブシェーと首藤の口から苦笑と共に語られた、動きの制限された難しい振りに全身痣だらけになったという話には、場内からさざめくような笑いが起こった。
個人的には、ステージの上に無造作に座るダンサー達の図にもちょっと感動。(笑)小学生の頃に読んだバレエ漫画張りの光景が目の前に広がっている不思議。ダンサーの動きってその所作ひとつとっても独特なので、私のような素人はそれだけで見蕩れてしまう。
ワークショップは面白かったし、色々な意味でレアな回だったと思います。
――でもさ。
私は初めて生で観たバレエ公演が、ハンブルクバレエ団の『椿姫』で。そしてハンブルクバレエ団と言えばノイマイヤー振付のイメージが強かったから、そのハンブルクバレエ団で私とそう年齢の変わらない日本人の男性が振付師になったと聞いて、酷く驚いたんだよね。だから、そんな彼のダンスを生で観てみたかった。
ベジャールの『ボレロ』を赦された首藤康之と、この服部有吉という人が同じ舞台の上で舞うのを、観てみたかったんだよなぁ……。
2006年07月22日
「現代日本のオーケストラ音楽」第30回演奏会
クラシックのコンサートなんて行った事がなかったのに、いきなり『現代』の名を冠した演奏会に足を運んでしまったのは、招待券が当たったからです。チャレンジャー。(笑)
と言うことで「現代日本のオーケストラ音楽」第30回演奏会を聴きに行って参りました。会場は東京文化会館大ホール。会社を定時で抜けないと間に合わない開始時刻だったのですが、そういう日に限ってあちこちから引き留めが入るのは仕様でしょうか。
結局遅刻して、一曲目を聴き逃しました。
個人的に(一番王道っぽいモチーフを扱っているという事もあって)コンセプト的には、この聴き逃してしまった『Negation of Peter's for Orchestra』という曲が一番聴いてみたかったのですが……まぁ仕方がない。
とにかく、それ以外は一通り聴く事ができて、まず大きな印象として――恥ずかしながら、やっぱり素人には難しいなぁ、と。寡聞にして、所謂古典的なクラシック(?)さえ聴いている量が少ないものですから、こうして感想を述べるのも恐縮なのですが……寧ろ、素人だからこそ余計に、私なんぞには不協和音に聞こえる部分もあったりして、そういうのを不安に感じてしまったり。勿論、オーケストラの響きから水や反射の質感が感じ取れる感動というのはかなり新鮮だったのですが。でも、それ以上に眉を顰めたくなるような不快さも同居している――というか。
絵画でもモダンアートと呼ばれるものだと、それなりに難解で不安な部分が付きまとうから、音楽もそういうものなのかなぁ……とも思うのですが。確かに、これなら一種の拒絶反応みたいなのが出るのは解らなくもないなぁ、と。実際、バレエでもベジャールの振りが難解で苦手だったりするし、『現代』の名を冠する芸術って、私にはまだ理解するにはベースが甘いのだな、と痛感する事頻りです。
う〜ん、もう少し頑張りましょう。
と言うことで「現代日本のオーケストラ音楽」第30回演奏会を聴きに行って参りました。会場は東京文化会館大ホール。会社を定時で抜けないと間に合わない開始時刻だったのですが、そういう日に限ってあちこちから引き留めが入るのは仕様でしょうか。
結局遅刻して、一曲目を聴き逃しました。
個人的に(一番王道っぽいモチーフを扱っているという事もあって)コンセプト的には、この聴き逃してしまった『Negation of Peter's for Orchestra』という曲が一番聴いてみたかったのですが……まぁ仕方がない。
とにかく、それ以外は一通り聴く事ができて、まず大きな印象として――恥ずかしながら、やっぱり素人には難しいなぁ、と。寡聞にして、所謂古典的なクラシック(?)さえ聴いている量が少ないものですから、こうして感想を述べるのも恐縮なのですが……寧ろ、素人だからこそ余計に、私なんぞには不協和音に聞こえる部分もあったりして、そういうのを不安に感じてしまったり。勿論、オーケストラの響きから水や反射の質感が感じ取れる感動というのはかなり新鮮だったのですが。でも、それ以上に眉を顰めたくなるような不快さも同居している――というか。
絵画でもモダンアートと呼ばれるものだと、それなりに難解で不安な部分が付きまとうから、音楽もそういうものなのかなぁ……とも思うのですが。確かに、これなら一種の拒絶反応みたいなのが出るのは解らなくもないなぁ、と。実際、バレエでもベジャールの振りが難解で苦手だったりするし、『現代』の名を冠する芸術って、私にはまだ理解するにはベースが甘いのだな、と痛感する事頻りです。
う〜ん、もう少し頑張りましょう。
2005年11月20日
シルヴィ・ギエム 最後の「ボレロ」
行って来ました、『シルヴィ・ギエム 最後の「ボレロ」』。バレエ公演なんて何年振りって感じですが、今回は頑張って追加公演のチケットをGet! だって、シルヴィ・ギエムって多分今世界で一番有名なダンサーじゃないか?って感じだし、そんな人が、クラシック音痴な私でさえCDを持っている位には好きな「ボレロ」を踊っている訳で、しかもその日本公演が今回の縦断ツアで最後な訳で。
そりゃ素人判断でも行かなきゃマズいだしょ。
とりあえず、演目に就ての詳細はこちらをどうぞ。ここでは、バレエについてはスーパー素人な保科志穂の簡単レビューと行きましょう。
そりゃ素人判断でも行かなきゃマズいだしょ。
とりあえず、演目に就ての詳細はこちらをどうぞ。ここでは、バレエについてはスーパー素人な保科志穂の簡単レビューと行きましょう。
- 「ギリシャの踊り」と「ドン・ジョヴァンニ」
- 共に振付はモーリス・ベジャール。感想としては、一言で言うと「難解」。全然判らない……。確かに、良く言えば哲学的なのだろうとは思うのだけれど、私のようにバレエに対する造詣が浅い人間にとっては、ちょっと難しくて、愉しむという状況には程遠い感じでした。そりゃまぁどうせ素人だから、判るも解らないもないと言えばないのだろうけれど……。でも、例えば今回のツアの演目のひとつである(私が行った公演ではプログラムには入ってなかったが)「スプリング・アンド・フォール」の振付師、ジョン・ノイマイヤーの舞台は以前観た事があって、この人の振りは実はかなり解り易かったのだ。こう、感情的というか、ドラマっぽい? ツアプログラムの紹介では、ノイマイヤーの振りについては「演劇的」というふうに表現されてるんだけど、まぁそれはさておき。とにかく難しくて、「ギリシャの踊り」と「ドン・ジョヴァンニ」はかなりぼんやり眺めている感じになってしまいました。勿論、両方ともそれなりに面白かったけれど、どちらかというとオペラの演目としてお馴染みの「ドン・ジョヴァンニ」の方がロマンティックで愉しかったかな、という感じ……。
- 「小さな死」
- エロかったです。マッシモ・ムッルとギエムの短編なのですが、「未就学児童入場禁止はこれの所為?」とか冗談で考えた程にはセクシィ。元の振りもエロいのだろうけれど、ムッルとギエムの腕遣いが、しなやかで細やかで弾力があって素敵です。「バレエっていうか、人間の躰ってこんな動きも出来るのね!」という感動さえありました。
- 「ボレロ」
-
バレエ公演で感動して泣いたのは初めてです。
振付がやっぱりモーリス・ベジャールだったので、「解らなかったら悲惨かも」と警戒してたのですが、このギエムって人は、本当に突き抜けてる。コールドは今後いつでも観る機会があるだろうと思って、殆どギエムに集中して視線を注いでたのだけど、「この人、髪の一筋一筋までが『ダンサー』なんだなぁ」と……。
これは本当に素晴らしいというか、素人でも無条件に感動します。すっごいお勧め!
ただひとつ惜しむらくは、私の左目がよく視えなかった事! 「ボレロ」の始まりは、真っ暗な舞台に前奏のリズムが流れて来て、それに続いてダンサーの腕元がスポットライトで照らされて始まるのだけど、相変わらず視界がブレてよく視えない……。そもそも、左目が視え難くなった時にまず思ったのが、「せっかくチケット取れたのに、ギエムがまともに視えなかったら最悪だ……。」だった訳で、今回それについては本当に悔しかったです。
2005年10月19日
ポップアジア2005-東京公演
昨日は会社を私用外出で抜けて『ポップアジア2005』に行って参りました。このコンサートは文化庁舞台芸術国際フェスティバル実行委員会という――要は御上が主催する『文化庁舞台芸術国際フェスティバル』というイベントの一環になります。このコンサートの感想をとりあえず一言で言うなら、「想像以上に娯しかった」です。だから余計に思ったんだけど、このイベント物凄くプロモーション不足。御上の仕事だから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど、プロモーションは民間にやらせれば良かったね。ИΗКのカメラさえ入らないのには、一緒に行った同僚氏も吃驚してた。
さて。このポップアジア2005は、各アーティストがそれぞれに30分程度のミニコンサートを開く形で進行していきます。東京公演の場合は4組のアーティストが出演し、余文樂(香港)、Noel(韓国)、god(韓国)、globe(日本)という順番でコンサートが繰り広げられます。私の目的は当然大取りのglobeな訳ですが、チケット代も結構値が張った印象があったので、同僚氏と一緒に最初のアーティストから全部観覧する事に。
まず、余文樂。俳優と二足の草鞋と言う事で、どれくらいの歌唱力なんだろうと思ってたんだけど、意外に声に張りがあって、聴いてて心地良い。バラードの場合は曲そのものがスローテンポなので、声の伸びがはっきりと判断できてしまうのですが、低くてよく伸びる声は魅力的でした。MCは辿々しくて、でもそれがまた親近感。最後に藤井フミヤの『TRUE LOVE』をカバー。この方の曲は、全体的に90年代を思わせる感じでしたが、現代の日本で日本語で唄われたとしたら、それはそれで全く違和感ないと思います。
次に、Noel。メンバの中に非常に日本語の達者な方がいらして、MCが断トツで面白かったです。こちらも2001〜2003年辺りを想起させる楽曲で、同僚氏曰く「聴かせるDA PUMP」。デビュー時のプロモーションはモバイル配信という、ユビキタスの申し子のようなR&Bサウンドのグループです。親日なようなので、これからもどんどん活躍していってほしいな。
そして、god。私は存じ上げなかったのですが、日本で非常に人気があるらしく、韓国語のMCもとっても盛り上がってました。今まで座りっぱなしだった目の前の方々が立ち上がってしまったので、(ステージが見えなくなり)私と同僚氏もスタンディングしたのですが、楽曲に物凄いパワーがあって、知らない曲でも自然と躰がリズムに乗る。彼等自身が非常にパフォーマで、観ていて愉しい舞台でした。
真打ち、globe。盛り上がりました。(笑)いつものコンサートのノリで踊ってましたです。お陰でストレス発散! 最近アルバムが出た事もあって、そっちから何曲かセレクト+定番曲(既に懐メロ?)の半々かね、なんて同僚氏と話していたのですが、寧ろ殆どが定番曲で、新曲は1曲だけでした。やっぱりこういうお祭りでは、アルバム収録曲の披露とは行かないようで。それにしてもkeikoは、もうハイトーンボイスが全然出ませんね。
どちらにしても今年はコンサートツアもなかったので、生globeはこれだけでしょうか。
コンサート終了後は勿論、その足で会社に戻ってお仕事の続きですよ。
因に、個人的にジャパニーズポップの今の注目はキャプテンストライダムです。『キミトベ』、聴いてて心地良い感じです。ボーカルの声かな。
さて。このポップアジア2005は、各アーティストがそれぞれに30分程度のミニコンサートを開く形で進行していきます。東京公演の場合は4組のアーティストが出演し、余文樂(香港)、Noel(韓国)、god(韓国)、globe(日本)という順番でコンサートが繰り広げられます。私の目的は当然大取りのglobeな訳ですが、チケット代も結構値が張った印象があったので、同僚氏と一緒に最初のアーティストから全部観覧する事に。
まず、余文樂。俳優と二足の草鞋と言う事で、どれくらいの歌唱力なんだろうと思ってたんだけど、意外に声に張りがあって、聴いてて心地良い。バラードの場合は曲そのものがスローテンポなので、声の伸びがはっきりと判断できてしまうのですが、低くてよく伸びる声は魅力的でした。MCは辿々しくて、でもそれがまた親近感。最後に藤井フミヤの『TRUE LOVE』をカバー。この方の曲は、全体的に90年代を思わせる感じでしたが、現代の日本で日本語で唄われたとしたら、それはそれで全く違和感ないと思います。
次に、Noel。メンバの中に非常に日本語の達者な方がいらして、MCが断トツで面白かったです。こちらも2001〜2003年辺りを想起させる楽曲で、同僚氏曰く「聴かせるDA PUMP」。デビュー時のプロモーションはモバイル配信という、ユビキタスの申し子のようなR&Bサウンドのグループです。親日なようなので、これからもどんどん活躍していってほしいな。
そして、god。私は存じ上げなかったのですが、日本で非常に人気があるらしく、韓国語のMCもとっても盛り上がってました。今まで座りっぱなしだった目の前の方々が立ち上がってしまったので、(ステージが見えなくなり)私と同僚氏もスタンディングしたのですが、楽曲に物凄いパワーがあって、知らない曲でも自然と躰がリズムに乗る。彼等自身が非常にパフォーマで、観ていて愉しい舞台でした。
真打ち、globe。盛り上がりました。(笑)いつものコンサートのノリで踊ってましたです。お陰でストレス発散! 最近アルバムが出た事もあって、そっちから何曲かセレクト+定番曲(既に懐メロ?)の半々かね、なんて同僚氏と話していたのですが、寧ろ殆どが定番曲で、新曲は1曲だけでした。やっぱりこういうお祭りでは、アルバム収録曲の披露とは行かないようで。それにしてもkeikoは、もうハイトーンボイスが全然出ませんね。
どちらにしても今年はコンサートツアもなかったので、生globeはこれだけでしょうか。
コンサート終了後は勿論、その足で会社に戻ってお仕事の続きですよ。
因に、個人的にジャパニーズポップの今の注目はキャプテンストライダムです。『キミトベ』、聴いてて心地良い感じです。ボーカルの声かな。




