『JAPAN OPEN 2006』公式サイトの紹介文より
『トリノの銅メダリストで正確なエッジワークで魅せる技巧派』
ジェフリー・バトルは、息の長い選手なイメージがある。それこそ順位を上げてきたのは新採点になってから――なのだろうけれど、本田と表彰台に並んでるイメージが明瞭に残ってるし、外見に騙されそうだが彼はプルシェンコと同い年だ。
と言う事で、NHK杯なんかで日本でもおなじみのジェフリー・バトルだけど、私が彼の滑りを生で初めて観たのは、やっぱり2005-06年のグランプリ・ファイナルである。そして、スケーティングの美しさには元々定評のある選手だったとは言え、あの日ほど、その事実を痛感した事はなかった。
グランプリ・ファイナル2日目。フリースケーティングの滑走直前、彼はブレードの緩みを訴えて、リンクの上で螺子を留め直した。その、微妙な間。そして、足慣らしのウォーミングアップ。それらを経て、やっと彼は滑り出したのだけれど、靴を履いたままで無理やり留め直したブレードの調子が悪かったのか、ジャンプは軒並み不調に終わり、キス・アンド・クライで得点を待つバトルは「う〜ん」といった感じの表情で、少し首を傾げた。
けれど、私がその日のバトルのジャンプの不安定さを認識したのは、それこそ試合終了後にその「映像」を観てからの事で、少なくとも会場では、それは然程は気にならなかったのである。まぁ、元々ジャンプの得意な選手じゃない、という先入観もあったのだろうけど……。
とにかく私は、そんなベストとは言い難い滑走であっても、それこそ氷の上を流れるように滑るバトルのスケーティングの美しさに、純粋に驚いたのである。
代々木競技場第一体育館、織田と高橋の滑走が終わり、静かに息を呑む観衆の前で滑り始めたバトルのその流麗なまでのエッジ運びは、まるで日本勢ふたりの比ではなかった。「全然違うんだ」と――「ブレードの歪みくらいじゃ、高橋や織田に勝ち目なんかないんだな」と。そんな事を、強く感じた。
そして帰宅してからこの時の映像を改めて観て、思った以上に不安定だったジャンプと、その実況解説の余りのウザさに吃驚するのだがな!!
こういう時、TV観戦だとどうしても……自分でも驚くくらい、実況や解説に惑わされ、気を取られてしまっている事を思い知る。バトルのこの時のフリースケーティングは、本当にその好例だ。会場で、他人の雑音のない滑りをちゃんと自分の眼で視れば、そのスケーティング技術の差は歴然としているのに、解説の要らない一言が、まるで接戦であるかのような誤解を視聴者に与える事ができるのである。勿論、カメラの位置なんかも関連しているのだろうけれど――でも、とにかく「これは酷い」と、思った。
そしてこんな事がある度に、フィギュアスケートの会場観戦をお薦めしたくなってしまうのだ。
会場観戦に於いては、オペラグラスや双眼鏡なんかは大して必要ないと思ってます。彼らの滑りを細部までじっくりと眺めるのなら、やっぱり帰宅してからビデオを観る方が良いのです。だって一番前の席で観たって、逆サイドで滑っている選手は結局遠いもの。
そりゃあ勿論、席は良いに越したことはないけれど。
でも、会場にはもっと違うものがある。
張り詰めた空気と、選手が氷の上に創り上げる世界。それらを、無駄に語彙を羅列するだけの実況に邪魔される事なく、肌で感じ取る事ができる至福の瞬間。
選手によって表情を変えるその世界が、きっと判る。
バトルのスケーティングの美しさは、一見の価値有りです。この人、いつか引退する前に、一度アイスダンスに転向して大きな大会に出てくれないかな……って、時々思うんだけど。でも、それはないかな。今回オリンピックに出られなかったタニス・ベルビンを思うと、その判断はちょっと――という気もするし。(ベルビンはカナダのアイスダンスの選手なんだけど、カナダではパートナに恵まれず、オリンピックに出るために、現在アメリカ国籍を取得中なのだ)
……しっかし、とにかく日本の報道は実況が煩い。選手の滑走中くらいは黙ってなさいよ、と。
【サイト内関連リンク】
■時代のニーズに水を差す。
【訂正】
コメント欄でご指摘いただいたとおり、ベルビンは米国籍取得が間に合い、トリノ五輪で銀メダルを獲得しています。(2006年05月20日)
2006年05月12日
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あ、本当だ……。(何を今更)
男子シングル以外、ちゃんと観戦していないのが露呈してしまいましたね……。ご指摘ありがとうございます。
と言う事で、ベルアゴはトリノ五輪は銀メダルでした。デタラメ書いて申し訳ありません。
ああ、でも、ベルビンは米国籍取得、五輪に間に合ったのですね。良かった……。