2006年04月12日

梅田望夫の『ウェブ進化論』

「次は小説を読もう」とか言っておいて、結局読了したのが梅田望夫の『ウェブ進化論』。この本、物凄いベストセラーのようなので、とりあえず読んでみたのですが、非常に感動しました。涙が出るくらい。ので、今日はその感想を少し。
 この著者である梅田氏は、「「ウェブ進化論」の梅田望夫氏が語る“Googleという隕石”」というインタビュー記事の中で、「日本の電機産業で、時代の大きな流れに最も敏感だったのはソニー」と語っているのだけれど、1998年頃だったか、当時SONYの社長だった出井氏が『Digital Dream Kids』という言葉を紡ぐのを聴いた時、私は余りピンと来なかった。でも、当時解らないなりにひとつだけ思った。「多分、その概念は(時代が)早過ぎるから、私には理解できないのだろう」と。SONYという企業が最初にCD(コンパクトディスク)を一般家庭向け技術として提案した時も、周囲はそれを「一般向けの技術にしては質が高すぎる」といったような反応を示したと聞いてたし。まぁそんなCDの技術も、既に廃れかかっている今日この頃ですがね……。
 だから当時、ニュース番組で出井氏が「本当は『(当時流行っていた)マルチメディア』という言葉は使いたくないのだが」といったような発言をするのを聞きながら、私はまた新しい概念が登場した事に注視し、これを聴き逃さないようにしないと次の10年の技術革新の波に乗り遅れるかも知れない、と思った。
 尤も、当時の私にとってその概念は到底難しすぎて、それが一般に普及するようには思えなかったけど。どちらにしても、この『Digital Dream Kids』という概念は頓挫し、出井氏はもうとっくに社長の座にはない。
 この『Digital Dream Kids』という概念自体が頓挫した単純な理由をひとつ挙げるとすれば、それは「そこにハードがなかったから」のように思う。主観だけど、SONYという企業の出発点は、そもそも「ハードを創る」というところにあったのではないだろうか。SONYの製品にはいつだって、ハードに対する付加価値がある。
 ただ、現在の私の感覚からすると、ハードの存在は横に置いておいたとしても『Digital Dream Kids』という概念は、矢張り時期尚早だったのだと思う。それこそこの表現は、当たり前にインターネットとケータイを駆使する、現代に生きる子供達に似合う言葉のように思うのだ。とすれば『ウェブ進化論』という、「あちら側」の世界を非常に解り易く紐解いた本が出たのが2006年だから、出井氏曰くところの『Digital Dream Kids』という概念の登場からは、ほぼ10年近い断絶が存在している事になる。
 繰り返しになってしまうけれど、ハードを造っている企業にとって、この概念の提言は諸刃の剣だ。失敗してもしなくても、喪うものは多大にある。それでいて、当時はそれこそ、得るものは未知数だった。ソニーが所謂「あちら側」へ渡るのを失敗してしまった理由として、これは決して小さな要因ではないはずなのだ。
 然るに、結局ブロードバンド大国である日本は、これだけ物が溢れていながら、どんどん物質的であるところの『物』に対する執着を喪う傾向にある。「CDを買わなくても、音楽はDLして聴けば良い」という考え方はその典型。私なんかは物欲が強いから、CDひとつ取ってもジャケット等の付帯品が気になって仕方ないのだけど、次の10年にはそんな考え方も古臭くなるのだろう。遅かれ早かれ、ハードの価値は落ち込んでいく運命にあった訳で、要はそれを予見したのが早過ぎただけなのである。
 ただ、ハードがなければソフトを動かす事はできないし、人間なんてのはそれこそ、肉体というハードウェアに極めて依存したソフト(脳)で動く仕組みになっている事を鑑みても、(まぁその辺りも、いずれは解消する時が来るのだろうけれど。倫理的な事を考えなければ、既に解消し始めているのかもしれない)物理的に存在する『物』に対する価値は過小評価すべきではないと思う。再生できるハードの現存しないソフトなど、存在価値はないに等しいのだから。日本は日本らしく、その辺りの拘りは棄てる必要はない。
 とは言え、だ。
 Googleという企業が造ったモノは、既にほぼハードウェアには依存していないし、「こちら側」にもない。『次の10年』と呼ばれる時代には、その流れは更に顕著になるのだろう。それこそ、電気の存在しない世界が既に想像できないのと同じくらいには。私には想像できない世界が、次の10年には横たわっているはずだ。
 既にソフトとハードの価値は逆転し始めて久しい。(何だか微妙な言い回しだ。)それも、日本の場合は都心部にその傾向が強いようだ。物理的に『物』が溢れている方が、ハードの価値の喪失が早くに起こり始めているというのは、ちょっと不思議な気がする。(その日の食べ物にも事欠くような状況であれば別だけど、日本の一般的な水準を鑑みた時)本来なら物質的な『物』の代替として、ソフトたる『モノ』に対して率先して価値を見出しそうなものなのに、何故かそれは起こらない。必ずハードの充足の次に、ソフトへの価値が叫ばれる。殊に、エスタブリッシュメント層と呼ばれる人々にそれが顕著な気がする。まぁ、彼らの場合は、単純に「あちら側」というより「ソフト」の概念が解らないのかも知れないけど……。でも、『次の10年』はそれを必ず凌駕するに違いない。そしてそれは「あちら側」の世界の価値が押し寄せる事によって訪れる。私が体感できていないだけで、既に、その現象は世界のあちこちで起こっているはず。誰もがそれを肌で感じられるようになった時には、既に世界は変わっているって感じだろう。だとしたら我々は、物質の溢れる豊かな先進国にいる事で、逆にそれを顕著に感じ取れない可能性が高い。

 とにかく。
 未来がちょっと楽しくなりそうな本なので、お薦め。
posted by HOSHINA Shiho at 02:42 | TrackBack(1) | 日々是雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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『ウェブ進化論』(梅田望夫著)@素直に波に乗ってハッピー。
Excerpt: 久しぶりのヒット本に当たりました。知的興奮状態。 『ウェブ進化論』(梅田望夫著) ※本書は「スパルタ読書塾」(→記事はこちらでご紹介しています)コミュニティでご紹介い
Weblog: 今日、僕が学んだこと。〜一歩ずつ愚直に前進、プチファイ・ライフ〜
Tracked: 2006-04-13 14:13
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