2006年03月18日

結論は、ない。

♪碧い眼をしたお人形はぁ亜米利加生まれのセルロイド、と。

 先日、「天才の『何某(なにがし)』」。という記事のコメント欄で、あれだけ「芸術スポーツの人種差別は致し方ない」と話していたのにも関わらず、WBCの日米戦の誤審が物凄く不愉快で、(大人気ないとは思いつつも)今日の記事では「モンゴロイドとメスチーソを馬鹿にしやがってからに……!」と思い切りアングロサクソン……というより白人至上主義と言うべき思想を罵倒する記事を書いてしまおうかと思っていたものの、蓋を開けてみればメキシコの踏ん張りのお陰で日本は準決勝進出決定! と言う事であっさり毒気が抜けてしまった直情型人間の保科志穂です……。

 まぁ……とは言うものの。正直に言えば人種や民族、文化を根拠とした差別というのは、ある程度致し方ないとは思ってたりもするのですよね……。それに自国の選手を贔屓したいってのも解るし。そもそも人間なのだし、内心では何を思ってようと自由な訳で。例えば、少しでもフィギュアスケートという競技を愛して観て来た人々が、五輪でロシアのスルツカヤが万全の状態で闘えなかった事を惜しむ傍らで、我々の税金で喰ってる文部科学大臣様がスルツカヤの転倒を内心で悦ぼうと、もうホントにこれっぽっちも全く構わないのですよ。

 そういう下劣な感情を、表に出さなければね。

 私は――極端な例を言えば、キャンデロロが内心で日本人を馬鹿にしていたとしても良いと思ってるくらいで。ただ、私達が視えてしまうところでは、そんな想いをおくびにも出さないでいてくれたら、それだけで良いと――本当に、そうとさえ思っているのです。彼が、私達にとって素晴らしいスケーターであってくれれば、それで。それだけで、私はキャンデロロというスケーターが演じるダルタニアンの映像を、愉しく視続ける事ができるだろう、と。結局のところ人間は何を考えようと自由だし、そこは誰にも縛られるべきではないと考えます。
 ただ、そういう感情に対する自覚は必要だと思います。自覚した上で、自分の置かれている立場と、自分の発言が及ぼす影響を常に意識する必要がある。取り分け、自らの公人としての色合いが強くなれば強くなるほど、より慎重に自分の一挙手一投足を制御できなくてはならないと考えます。でも、それは文部科学大臣様のような極端な公人に限ったことではなく、我々自身が日常生活に於いて、仕事や人間関係を巧くこなしていくのに言葉を選ばなければならない事と、何ら変わりのない事だと思うのです。
 ――…………う〜ん。
 どちらにしても、この手の問題は物凄く根深いし難しい話なので、私には情けないほどに当り障りのない事しか書けません……。書いてる本人からして、私みたいな無知な阿呆が語れるレベルの話じゃないだけに腰が引けてるし。例え誰も閲ないとしても、世界万人から覽える所では言葉に出来ない、文字にしてはいけない、口承でのみ伝えていくしかない真実も沢山ある。それらを識れば識る程に、何処までを文字にして良いのか境界線が視えずに恐ろしくなる。私が扱えるようなものではないのだと、それだけを強く感じる――。

 まぁ、とにかく。今日はもういいや。とりあえず日本は次の試合を戦う資格を、得る事だけはできたのだしね……。
posted by HOSHINA Shiho at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々是雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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