2006年03月10日

天才受け入れのキャパシティ。

 実はここ数ヶ月、本を読む気がなかなか起こらず困っていた。以前、通勤に片道1時間40分かけていた頃はそこそこの読書量があったのだけど……。転職して引っ越す事で通勤時間が短くなり、それに反比例するように仕事が爆発的に忙しくなってしまってから、読書量が目に見えて落ちてしまった。そして、更に輪をかけるように、ここ数ヶ月は本を読むことに対する欲求が、もうほぼ皆無状態にまで至っていたのだ。(それこそ冬コミ落ちて助かった、と思ってしまうほどに。)
 勿論、ビジネス書はある程度読んでいると思う。実用書も比較的。雑誌もそれなりに。でも、それは仕事に役立てようとする意思が介在するものであり、そういう意味では、私にとって純粋に娯しむ為の読書とは言えない。しかし、仕事に追われて疲弊しきった脳には、紙に印字された文章は単なる文字列としか認識できなくなっていて、気がついた時には、あれだけ大好きだった小説の文章が、全く理解できなくなってしまっていたのだ。
 そうして去年の秋からこの冬にかけて、私は過労やストレスといったものが原因とされるような病気(?)をして、片目が視えなくなったり、耳が聴こえなくなったり、年明けにはものが食べられない上に起きられなくなるような事態にまで直面する事になったのだけど……。まぁ、それはもう殆ど良くなってるので、さて置いて。
 そんな感じで肉体的な障害を抱えていた時期に被るように、私は世紀の天才と謳われた人々を幾人か眼前にする機会に恵まれた。それは例えば、天才ダンサーのシルヴィ・ギエムであったり、ソルトレイクの白鳥と謳われたアレクセイ・ヤグディンであったり、フィギュアの天才エフゲニー・プルシェンコであったりするのだけれど……。そして私にとって、平井堅もこの中に入ってたりするのだけれど。
 とにかく、自分の認識より遥かに高みにある畏ろしいまでの美しい技術を持ち、その技術を余すことなく体現する様をこれだけ幾度も眼にすると、流石に人間、疲弊しきった感覚であっても、その凄まじさに勘所のようなものが戻ってくるものらしい。しかも、プルシェンコの五輪のスケーティングを観て、ショートプログラムで歓び、フリースケーティングでは落ち込んで哭いて、エキシビションでは感動して泣く……と苦痛に感じる程に感情を起伏させられ、それを下手なりにこうして文章に書くという事までやってしまったある日。突然私は思ったものである。
「本が読みたい。綺麗な文章の小説が読みたい」
と。まぁ、人間インプット量が一定に達するとアウトプットせずにはいられなくなるのかも知れない。そうしてある程度アウトプットすると、初めてインプットする為の容量が空くのかも知れない。もしかしたら、そんな事は全く関係なく、それこそ偶々なのかもしれないけれど。
 でもまぁ、安心した。ホントに。

 それにしても、ああいう天才――というか、神に愛された仔等にとって、この世界はどのように視えるのだろう。風の音は聴こえるだろうか。温もりは感じるのだろうか。
posted by HOSHINA Shiho at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々是雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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