コンサートで大阪行くなら有給取って京都も寄ってこよ。
とか思ったのは、多分チケットが確保できた直後だったと思うのだけど。
そんな理由で、京都に一人旅と洒落込んで来ましたよ。
京都の一人旅とくれば、もう誰にも遠慮せずマイナーな新選組ツアー。これに限ります。私は、中学校も高校も京都への修学旅行だったのだけど、やっぱり色々難しいんですよ、人数多いと。新選組に興味ない人だっていっぱいいるし、新選組ゆかりの地ってのは、神社仏閣や城とは限らない訳ですからね。その殆どが単なる道端だったりするから。
それに、新選組というのは、京都の町中でばっさばっさと人斬りまくった訳ですよ。しかもそれって、まだ150年くらい前の話だから、今の御年寄りの方々とかは、親とかに当時の事色々と聞いてたりもするでしょうし。それを思えば新選組関連の史跡なんて、京都の他の史跡と較べれば冷遇されていて当然の話で。そういう事情も相まって、新選組関連の史跡は現場に何も残ってなかったり、目立たなかったりしてるのが普通な訳です。だから、もう新選組に興味が無い人にとっては全く以って面白くない旅になっちゃう。これは申し訳ないですよ。いざ道端に立ったところで、面白がってるのは私だけ、他の人は「だから何?」状態だもん。
高校の時一度やってすっごい後悔した。ごめん、当時の人。
ので、今回は思いっ切り新選組ファンしか面白くない旅をしてきました。参考にしたのはe京都ねっとさん。
ついでに前置きしておくと、今回(に限らず)写真は1枚もありません。旅行で「写真を撮る」という行為を随分前から辞めています。(誰か別のヒトが撮る時は全然一緒に写るけど。)なんか写真撮ると忘れるんですよね、その時の事を。
例えば、難しい計算する場合って、自分で暗算するより関数電卓でやる方が速い──という事で、内部での処理の一部を外出ししてる訳ですが、そうすると学校で習ったような複雑な計算方法(計算のプロセスというか、ディティールというか)、忘れません? どうも私の場合、写真を撮る事によってそれと似たような現象起こしてるっぽんですよね。写真を撮るという行為をする事で、その観光地での印象が残ってないというか……写真を撮る事に終始してしまって、全体の記憶がボケるというか。もしくは、写真を撮るという外部処理を利用した記録行為によって、自ら記憶しようとする処理を自ずと放棄しているのか……。ので、辞めました。今は文字で出力する方向で実験中。
で、本題。
コンサートへの移動の都合上、京都駅から近いホテルに宿泊していたので、24日の朝は不動堂明王院から「ややマイナーな新選組ゆかりの地ツアー」を開始しました。
不動堂明王院(下京区油小路塩小路下ル南不動堂町)は、新選組最後の屯所があったとされる不動堂村の名前の由来となった寺院で、道祖神社と隣接してます。因みに私が宿泊したホテルの真裏。(笑)
この、新選組の最後の屯所があった場所というのは「堀川の東、木津屋橋の南」というだけではっきりしていないらしいのですが、一応、今のリーガロイヤルホテル(下京区堀川通塩小路)の辺りと言われてるとか。
んでもって、このリーガロイヤルホテルを左手に堀川通を上って行くと、やっぱり左手に校舎が見えてきます。安寧小学校(下京区堀川通七条下ル)と言うらしい。ここが近藤勇の妾宅。住んでいたのは勿論、深雪太夫です。
ここで堀川通りから一本入って油小路へ。本光寺(非公開)の門の前にひっそりと「伊東甲子太郎他数名殉難の地」碑(下京区油小路通木津屋橋上ル)があります。そのまま七条通まで出たところが油小路七条の辻(下京区油小路七条)。伊東甲子太郎の遺体が囮として晒された場所です。所謂「油小路の変」の現場。勿論、この辻にはそれらしき標識は何もありません。日常生活の雰囲気が漂う、すっごく普通の十字路です。でも、現代風に言えば死体遺棄現場だもんね。そんな標識あっても普通に厭だ。
更に、七条通を渡って北小路まで出たところが北小路の変跡(下京区油小路北小路)。天満屋事件の際、誤って同士討ちがあったという場所です。勿論、何も標識はありません。(そんなのばっか。)とは言え、当の天満屋事件跡については石碑があるという事で、油小路沿いを頑張って捜してみたのですが……こちらは見つからず。何でだ。
そうこうしている内に、西本願寺の正門が視界に入ってしまったので、諦めて西本願寺へ。西本願寺(下京区堀川花屋町下ル)は大きなお寺さんなので、普通に拝観してもとても愉しいです。が、ここで重要なのは境内にある太鼓楼です。新撰組屯所跡で当時のまま残ってる建物は、西本願寺内ではこれだけだそうです。
次に脚を運んだのは、西本願寺裏手にある島田魁が住んでいたとされる辺り(下京区大宮旧丹波口下ル)。e京都ねっとを確認する限り、戸籍上この辺りに住んでいたらしい。すっごい細道です。
さて。
ここまではトントン拍子で来ましたが、ここからは結構距離が出てきます。歩ける範囲だけど、24日は相当暑かったんだよね……。
次に辿りついたのは島原大門(下京区大門通花屋町)。因みにこの辺りから、「呼び名は『島原』なのに、住所は西屋敷中之町」という不思議なエリアに入る事や、京都駅の観光案内所でもらえる『京都散策物語』というリーフレットの地図から外れてしまう事もあり、勘で歩いていく事になります。
しかしまぁ、何とかなるもんです。
島原大門辺りまで来ると、すれ違う人々が来た道をそのまま適当に歩いているだけで、小説『輪違屋糸里』でも有名な輪違屋(下京区西屋敷中之町114)やら、芹沢鴨が暗殺前にがっつり酒を呑まされたので有名な角屋(下京区西屋敷揚屋町32)が見つかるのです。やっぱ凄いよ新選組。マイナーマイナーと言いつつ、新選組ファンの間では全くマイナーじゃないんだね、この辺りも。ま、それでも角屋の紹介板には新選組の事ってさっぱり触れられてないですが。
角屋は現在、角屋もてなしの文化美術館になっています。リンク先にもありますが、開館期間が限定されているので注意です。昔の建物をそのまま使っているので空調設備が整っていない(一部整ってる部屋もある)為、真夏と真冬は閉館してしまうんですね。でも、ここはガイドの方が色々と説明してくださって大変面白かったです。「島原」という地名の起源(同時代に起こった『島原の乱』から取ったものだそうで、元の地名とは全く関係ないらしい。)から、設備の特徴まで詳しく説明して戴けたし、一緒に説明を聞いた方がやっぱり新選組関連施設を廻っていた事もあり、凄く盛り上がりました。愉しかった。
新選組記念館(下京区五条通坊城下ル)は予約をしていなかったので、前を素通り。(何となく予約なしでも入って良さそうな雰囲気もあったんだけど、前にも書いたとおり、地図がなかったので勘で歩いていて、次の目的地までの時間が予測できなかったので、それもあって諦めた。)
次の目的地はメジャーどころの壬生寺(中京区坊城仏光寺北入ル)です。この辺りのエリアに入ると、リーフレットにもまた復活してくる。(笑)しかも、近所の交番に行き方の説明図が張り出してあったりもして、驚くほど迷いませんでした。(笑)壬生寺の境内には壬生塚があって、新選組隊士の墓所となっています。壬生塚は拝観料がかかりますが、大した額じゃないです。
そして、傍にある八木邸(京都市中京区壬生梛ノ宮町24)へ。ここでもガイドの方が当時の事を詳しく説明してくださいます。また、新選組関連の御土産を求めるようであれば、八木家の御茶屋さん京都鶴屋さんか、この近辺のお店で買い求めるのが吉。新選組関連の御土産って本当にないのです。帰りに京都駅で余りにも新選組関連の御土産(食べ物とかお酒ね)がなくて泣いた……。でも、この時は徒歩の旅だった事もあって、手荷物増やしたくなかったんだよね。
そして旧前川邸(中京区壬生賀陽御所町39)。こちらは非公開ですので外から観るだけ。そのまま、光縁寺(下京区綾小路通大宮西入ル)へ向かいます。光縁寺も拝観料がかかりますが、こちらは御住職がざっと新選組のお墓について説明してくださいます。因みに、ただの見学はお断りだそうです。そりゃそうだよね、お墓だもん。
24日の自分的ノルマはここまでだったのですが、この時点で14時半を過ぎていたのでとりあえずランチ。手持ちのネットブック(これが重かったんだよな)で何処に行くか検討。結局三条河原まで行く事に。交通手段は電車です。
三条大橋に着いたのが16時半ちょっと前。橋の下で一休みです。でも、この辺りに近藤勇の頸が晒されてた訳ですね……。
でもって、何度も来ている池田屋騒動跡……というか今は海鮮茶屋 池田屋 はなの舞(中京区河原町三条東入ル)──ちょっとどうかとも思うけど、今まで観た中で一番マシな扱いであるという現実。でもまぁ何度も言いますが、現代風に言うとここって殺人現場ですからね。この扱いは感謝すべきところですよ。そして、この池田屋騒動の時に土方隊が向かったという四国屋・丹虎、現在の金茶寮(中京区木屋町通三条上ル)へ。
24日はここまでで脚が限界になり、ホテルへ戻る事に。次の日に続く。
2009年09月26日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック




