こういうのは勢いもあるし、タイミングもあるのだな。
という訳で9日。帰省ついでにちょっと脚を伸ばして、流山の近藤勇陣屋跡まで行って参りました。
新選組は1868年(慶応4年)の3月、甲陽鎮撫隊と名を変えて甲州勝沼の戦いに挑み──敗退。江戸に散り散りに逃げ戻った後、翌月4月1日、流山(千葉県)に拠点を移し、土地の豪商であった長岡屋に本陣を敷き再起を図ります。しかし、この地も3日には官軍により包囲され、流山の地を兵火に晒す事を厭うた近藤は、自ら新政府軍に出頭するのです。
近藤はそのまま解放される事なく越谷(埼玉県)に連行され、板橋にて斬首。この流山の地が、近藤勇と土方歳三の永遠の離別の地となったのでした。
さて。
この近藤勇陣屋跡というところは、流鉄流山線(旧総武流山線)の終点、流山駅から徒歩3分程度のところにあります。流山市と言えば、つくばエクスプレス、JR常磐線・武蔵野線、東武野田線と、割と交通の便の良い路線が乗り入れている印象があったのですが、この流山線は始点の馬橋駅が常磐線に連絡している以外、どこの路線からも巧く乗継ができません。帰省にあたってはちょっと遠回り……。
電車の本数は、昼時であれば1時間に4本程度、全6駅の短い路線です。しかも、Suica(ICカード乗車券)非対応。有人改札が久し振りだったので、乗り方に戸惑ってしまったりして……これって十数年前までは当たり前だったのにな。
私が乗ったのは、3両編成の「流星」という電車だったのですが、土曜の昼過ぎとなると乗客もまばら。折角なので、先頭車両の一番前の席に座り、運転席からの眺めをこっそり堪能。
流山駅に降り立ったのは午後4時過ぎでしたが、駅前も余り人出はありません。でも、とても目立つところに『新選組 近藤勇・土方歳三離別の地』と書かれた案内板があって、陣屋跡までの道はすぐに判ります。また、道のあちこちに案内板や幟があって、迷う事無く目的地に辿り付く事が出来ました。
人影のまばらな田舎町である事も手伝ってか、陣屋跡の周囲は驚くほど静か。案内板の説明を読んでケータイで写真を撮り、博物館に行くかちょっとだけ悩んで、結局諦めて駅に戻ったのですが、その間15分強程度でしょうか。もう少し時間があれば、博物館やその他の陣が張られた寺社も廻れたかなぁ、とは思ったのですが、何しろ片手間に寄っただけというのもあって今回は諦めてしまいました。まぁ、そんな遠いところでもないので、廻ろうと思えばいつでも回れるのだろうけれど、そういう場所こそ、なかなか行かなかったりするんだよねぇ……。
でも、ここって本当はもっと観光地然としてて良いと思うんだけど。大河ドラマやってた頃はもっと人も多かったのかな。4月25日前後とかだと、人出もあったりするんだろうか。陣屋跡の隣の酒屋さんには香取慎吾扮する近藤勇のポスターが貼られていました。
2009年05月10日
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