2009年05月11日

劇場版 天元突破グレンラガン 螺巌篇

 某氏が「俺を誰だと思ってやがる!」と宣っているの見て「そう言えばもう『螺巌篇』始まってんじゃん! 観に行かなきゃ」と思い立ち──今回は早々に観て参りましたよ、『劇場版 天元突破グレンラガン 螺巌篇』! 因みに『紅蓮篇』の感想はこちら

 という訳で8日、会社帰りに池袋シネマサンシャインのレイトショウに駆け込み。
 しかし。
 今回かなり思ったのが、TV版を全話見終わった後だと、劇場版の第一回目は意外に愉しめない──という事。(苦笑)何しろ、見どころの多いアニメ。そもそもが「普通これ、1年間くらいやってるボリュームのアニメだよね」みたいのを凝縮した話だし、それが最終回前後となれば特に内容が濃い。それを更に2時間強に凝縮しているのである。カットされる分量が半端ないのは観る前に充分想定済み。大体、TV本編と大幅に話が変わってくるのは、紅蓮篇でも経験済みなのだ。(ただし、この時はTV版全話観てない状態で行った訳で、結果として色々な意味で良かった──という事に気付いたのは、螺巌篇を観てからの事なのだが。)その上、紅蓮篇はツェッペリン攻略さえ終わらない状態で終わってると来てる。
 要するに、だ。「あのシーン、大好きなんだよな〜。今度の劇場版でカットされてないと良いんだけど……」という場面が多すぎなのだ。そればかりが気になって、ハラハラして物語に集中できないのである。
 実際、アバン(本編開始前)でツェッペリン攻略が終わってしまうと言うくらいのボリュームだし、一度話が地球を飛び出したら、後はもうずっと舞台が宇宙のまま。
 だから例えば、ロシウが自決しようとする場面なんかは、「これはTV版の方が好きだったな」とも思いつつ、でも、やっぱりそれはそれで、泣けて来るほどに良いシーンだったりもして──だからやっぱり、とにかく愉しみきれてない。

 一番大好きなシーン──シモンがふたりのカミナの間で迷い、真実に気付き、そして本物のカミナと語らう場面──はカットされてなかったし(それだけで超満足)、死人もTV版より遥かに少なかった。ニアの劇場版オリジナルのガンメン(?)も色合いなんか綺麗で相当素敵だったし、それ以外のガンメンのデザインもみんなかなり手が入ってて、なんか色々、凄く良かったと思ってるんだけど。

 でも、今回は多分、というか絶対、これはもう一度観に行かなければマズイと思っている。これは、一回観ただけでは、本当に愉しめない。もう一度行って、今度こそ色々堪能してこようと思う。

 もっとも。多分また、会社帰りのレイトショウだと思うけど。
posted by HOSHINA Shiho at 00:44| Comment(3) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月10日

流山、近藤勇陣屋跡。

 こういうのは勢いもあるし、タイミングもあるのだな。

 という訳で9日。帰省ついでにちょっと脚を伸ばして、流山の近藤勇陣屋跡まで行って参りました。
 新選組は1868年(慶応4年)の3月、甲陽鎮撫隊と名を変えて甲州勝沼の戦いに挑み──敗退。江戸に散り散りに逃げ戻った後、翌月4月1日、流山(千葉県)に拠点を移し、土地の豪商であった長岡屋に本陣を敷き再起を図ります。しかし、この地も3日には官軍により包囲され、流山の地を兵火に晒す事を厭うた近藤は、自ら新政府軍に出頭するのです。
 近藤はそのまま解放される事なく越谷(埼玉県)に連行され、板橋にて斬首。この流山の地が、近藤勇と土方歳三の永遠の離別の地となったのでした。

 さて。
 この近藤勇陣屋跡というところは、流鉄流山線(旧総武流山線)の終点、流山駅から徒歩3分程度のところにあります。流山市と言えば、つくばエクスプレス、JR常磐線・武蔵野線、東武野田線と、割と交通の便の良い路線が乗り入れている印象があったのですが、この流山線は始点の馬橋駅が常磐線に連絡している以外、どこの路線からも巧く乗継ができません。帰省にあたってはちょっと遠回り……。
 電車の本数は、昼時であれば1時間に4本程度、全6駅の短い路線です。しかも、Suica(ICカード乗車券)非対応。有人改札が久し振りだったので、乗り方に戸惑ってしまったりして……これって十数年前までは当たり前だったのにな。
 私が乗ったのは、3両編成の「流星」という電車だったのですが、土曜の昼過ぎとなると乗客もまばら。折角なので、先頭車両の一番前の席に座り、運転席からの眺めをこっそり堪能。
 流山駅に降り立ったのは午後4時過ぎでしたが、駅前も余り人出はありません。でも、とても目立つところに『新選組 近藤勇・土方歳三離別の地』と書かれた案内板があって、陣屋跡までの道はすぐに判ります。また、道のあちこちに案内板や幟があって、迷う事無く目的地に辿り付く事が出来ました。
 人影のまばらな田舎町である事も手伝ってか、陣屋跡の周囲は驚くほど静か。案内板の説明を読んでケータイで写真を撮り、博物館に行くかちょっとだけ悩んで、結局諦めて駅に戻ったのですが、その間15分強程度でしょうか。もう少し時間があれば、博物館やその他の陣が張られた寺社も廻れたかなぁ、とは思ったのですが、何しろ片手間に寄っただけというのもあって今回は諦めてしまいました。まぁ、そんな遠いところでもないので、廻ろうと思えばいつでも回れるのだろうけれど、そういう場所こそ、なかなか行かなかったりするんだよねぇ……。

 でも、ここって本当はもっと観光地然としてて良いと思うんだけど。大河ドラマやってた頃はもっと人も多かったのかな。4月25日前後とかだと、人出もあったりするんだろうか。陣屋跡の隣の酒屋さんには香取慎吾扮する近藤勇のポスターが貼られていました。
posted by HOSHINA Shiho at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々是雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月06日

国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア

 渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催されていた『国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア』に行って参りました。
 今回の目玉はタイトルでもお解かりの通り、イワン・クラムスコイの《忘れえぬ女》。個人的には19世紀末のロシア絵画というとどうしてもイリヤ・レーピンの印象が強かったのですが、その師匠は更に凄いと言うことか……。

 ロシアのイメージと言えば──酷寒の冬、どんよりと低く昏い空、針葉樹の森……どこまでも続く静かな地平線。
 勿論そればかりじゃないだろうけど、そんな印象がある。寒くて、冬が長くて。そして、ロシア文学の印象がある所為か、困窮に喘ぐ民衆のイメージもある。いや、あんまりロシア文学読まないんだけど。
 別に、今回の展覧会でそういったイメージが覆った訳ではないのだけど。
 ただ、一石を投じたといった感じはあったかもしれない。
イワン・シーシキン 《森の散歩》
 《木陰で休む家畜の群れ》もそうだけど、写実主義で明るい印象の絵。重苦しいイメージのロシアですが、宗教画でもない、単なる日常を描いた風景画で、こういった明るい作品がこの時代の段階で出てきていた事にちょっと驚き。個人的には、シーシキンの写実的な風景画の中に描かれる植物の姿が好きです。

ワシーリー・ペローフ 《眠る子ども達》
 イラリオン・プリャニシニコフの《空っぽの荷馬車》でも共通しているのですが、私の思い描くロシアの情景に近い雰囲気の作品です。特に《眠る子ども達》はロシア文学の一場面を観ているよう。困窮に喘ぐ農民達のイメージが絵から滲み出て来ると言うか……胸が痛くなる作品。

フョードル・ワシーリエフ 《雨が降る前》
 光の表現がかなり特有。余り活動期間の長くない画家のようですが、あと20年くらい活動できたら、相当垢抜けた作品を描く人になったんだろうな、と。
 雨が降る直前、空が暗くなり遠く雷の音が聴こえる──そんな時の微妙な光の感じが恐ろしいくらいに表現されていて、幼い頃の記憶を呼び起こしたという点でも、印象に残った絵です。

アルヒープ・クインジ 《エルブルース山─月夜》
 絵の中に月の描写はなく、月光に青白く浮かび上がる山の頂の姿が強烈な絵。この人は絵の具の研究も相当していたらしいですが、蓄光塗料で描いてあるかのような錯覚さえ感じる作品です。風景画では一番吃驚した作品。
 ワシーリー・ヴェレシャーギンという画家の作品が3つ程あったのですが、この画家の作品はロシアを描いたものではなかっただけに、空が高く青く──ロシアの風景の空は低く澄んでいるのが定番なので、その空の色に異国情緒を感じることができました。そして、これらの絵の隣に突然、イワン・クラムスコイの《髪をほどいた少女》が現れます。展示構成的にも、ここはヴェレシャーギンとクラムスコイとで突然雰囲気が転換するので、結構驚きます。
イワン・クラムスコイ 《忘れえぬ女》
 最初に述べたとおり、19世紀末のロシア絵画、中でも肖像画というとイリヤ・レーピンのイメージが強いのです。今回も展示されている《秋の花束》なんかが、その象徴というか、完成形って感じがしていたのだけれど。
 でも、展覧会全体通して、矢張りこの《忘れえぬ女》は圧巻で。
 今風に言うと「目力がある」というか……。その洗練された雰囲気は、今回の一連の作品群の中で、相当に群を抜いていて。これは確かに、忘れられない。
 私のロシア絵画のイメージは、この絵が一番重いところに来た──と、そう思いました。
 イリヤ・レーピンの作品については、今回の作品群なら《画家レーピンの息子、ユーリーの肖像》《文豪ツルゲーネフの肖像》、そして《秋の花束》が好きだったかな。今度の展覧会の目玉はクラムスコイでしたが、レーピンの作品も沢山展示されていて、そういう点に於ても満足度の高かったです。レーピンの絵には「溢れ出る生命力」を感じる事が多くて、そういう強いエネルギーを感じる絵というのは、どうしても印象に残るし、好きです。

 ここ数年、ロシア関連の展覧会は(自分的に)当たりが多い気がします。今回は大々的に広告スポンサーが付く事はなかったようですが、「作品数は多くてもテーマ性が曖昧」な展覧会より、時期やテーマをちょっと狭いくらいに絞ってくれた方が、作品数が少なくなってしまってもその属性を捉えやすいし、展覧会そのものを楽しく感じられるような気がします。
posted by HOSHINA Shiho at 02:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術展 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雨の午後、新選組隊士供養塔。

 先月まで、時代劇専門チャンネルでは鶴田浩二が近藤勇を演じる『新選組』が放送されていた。
 脚本は結束信二。この結束信二と言う人は司馬遼太郎の『新選組血風録』や『燃えよ剣』の脚本も担当していた人で、それ以外にも、私はこの人の脚本作品で比較的好きなものが多い。
 近藤勇も、色々な人が演じているのを見ているけれど、実はこの「鶴田浩二の『近藤勇』」が今のところ一番好きである。言葉遣いだけでなく全体の雰囲気が丁寧で、憂いのある視線が好きだ。この人の下なら、確かに沢山の人々が集まっただろうなって思う。
 土方歳三は栗塚旭が演じていて、これはもう──どちらにしても、この人以上の土方歳三はいないから、何も言う事がない。
 沖田総司は有川博だけど、この『新選組』では特に最終回に近くなってくると会津藩士役で出ている島田順司との絡みが多くなる。2004年の大河ドラマの『新選組!』でもそうだったけれど、『新選組血風録』と『燃えよ剣』で沖田総司を演じた島田順司は、大概そんな風にして、新たな沖田総司と向き合うのだ。でも、有川博の沖田総司も良いと思う。島田順司より子供っぽい雰囲気が堪らない。島田順司の沖田総司は、ちょっと意地が悪いと思う。
 その、鶴田浩二の『新選組』の放送が終わったのが4月末の事。そして私は、最終回の『鳥羽伏見の戦い(後編)』を観てボロボロと涙を流しながら思ったのである。

「やっぱ、5月は新選組だ(意味不明)」

 去年の5月は土方歳三の140回忌だった。近藤勇の命日は4月だからもう過ぎてる……けれど、5月は戊辰戦争の終戦月でもある。やっぱり5月に新選組関連行きたい! 行きたいのだ。
 という訳で。
 結局、板橋にある新選組隊士供養塔に行く事に。本当はもっと別の場所を考えていたのだけれど、5日は生憎と雨になってしまったので、比較的近く、そして近いが故に脚を運んだ事がなく、近藤勇に関係のある場所──と思って選んだのが、このJR板橋駅のすぐ傍にある新選組隊士供養塔だったのである。
 この供養塔について、ここでは延々と「新選組隊士供養塔」という言い方をしているけれど、実はこのJR板橋駅の駅前にある供養塔は、近藤勇の墓として有名である。が、近藤勇の遺骨はここにはない。あるのは──多分、永倉新八の遺髪だけだ。しかも、板橋駅前なのに、この墓所は板橋区ではなく北区にあるのだ。北区滝野川。

 JR板橋駅に降りると、東口から滝野川に出られる。この墓所は駅から徒歩1分……もかからないかな。とにかく、東口の改札を出るとすぐ見える場所にある。
 入って正面奥に近藤勇(と、連なる新選組隊士達)の大きな供養塔があって、左手には永倉新八の墓。何故、永倉新八の墓だけが独立しているかというと、この供養塔を立てたのが永倉新八だから。そして、彼の墓の下には、彼の遺髪が埋まっている──そうだから。
 そしてこの墓所の中心とも呼べる供養塔の方は、多分空っぽなのだろう。この供養塔は近藤勇の名と共に土方歳三の名前が並べて刻んである。そして、その左右の面には、他の新選組隊士全員の名前が載っている。
 ここは近藤勇の墓として有名だと言ったけれど、強いて近藤勇の墓と呼べるものがあるとすれば、その供養塔の向かってすぐ右にある墓石と、更に右手にある何も刻まれていない自然石──まるで庭石のようにそっと置いてあるその石こそが、近藤勇の胴体が埋葬された当時の墓石なのだと言うから、これらが「近藤勇の墓」なのだろう。

 その自然石にも、手を合わせた。

 新選組の墓参りにしては、微妙に時期を外しているな、とは思う。
 近藤勇なら4月25日だし、この供養塔の供養祭も4月中に行われる。5月11日まで行けば土方歳三の命日になるし、その頃になると日野市でも板橋区でも新選組祭がある。本来なら、墓参りもそういった時期に行けばイベントが多くて面白いのだろう。
 でも、今回はどうしても行きたかったんだよね。本当は、5日はくらやみ祭に行こうと思ってたから。『燃えよ剣』の冒頭の場面で語られる、あの府中のくらやみ祭。あの祭から、土方歳三の新選組への道程は始まったのだから……多分。

 薩摩切子展に新選組の墓参りと、意識してなかったのに妙に幕末付いていた今年のゴールデンウィーク。まだ何かあったりして。あると良いなぁ。
posted by HOSHINA Shiho at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々是雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

一瞬のきらめき まぼろしの薩摩切子

 サントリー美術館は国立新美術館から歩いてすぐなので、立ち寄ろうかどうか迷っている間に到着してしまうというのが本当なのだけど……。
 新美術館でのルーブル美術館展に行った帰りに、サントリー美術館まで脚を伸ばして、『一瞬のきらめき まぼろしの薩摩切子』展を観て参りました。
 薩摩切子の隆盛は幕末の7年間とされています。それは本当に一瞬のきらめきで、1846年に10代目薩摩藩主である島津斉興が興した硝子産業は、11代藩主斉彬の代には興隆を極めるものの、1863年に薩英戦争で硝子工場が破壊される事で衰退していきます。
 島津斉彬は硝子工業のみならず近代工業化を推し進めた人物で、日本の近代化に大いに貢献した人物です。造船や貿易などが有名ですが、この薩摩切子もこの人の大きな仕事のひとつ。斉彬は集成館事業(洋式産業)の一環として、薬瓶として製造されていた硝子瓶を美術工芸品として飛躍させるのです。そして、その最も盛んな時期に没します。
 因みに(サントリー美術館公式でも微妙な書き方なので)一応書いておくと、島津斉彬は(鎌倉時代から続く)島津氏の28代目ではありますが、島津藩主としては11代目にあたります。

 展示構成としては、まずは薩摩切子に影響を及ばしたボヘミアやイギリスのカットガラスと江戸切子。これを踏まえて、誕生から隆盛期の薩摩切子、献上用の品々が展示され、最後には明治以降の作品や、薩摩切子を源流として他の地方で造られた作品までもが展示されています。
 魚子模様と麻の葉小紋を交互に組み合わせた独特の模様、花弁を模した洒落たカッティング、その特徴とも言える鮮やかな赤、余り見ない青緑の蓋物──もう、正に圧巻。
 薩摩切子の具体的な特徴についてもとても判り易く解説されていて、ひとつひとつの作品の特徴も掴みやすいし、展示順の工夫もあって、時代の流れによって発展していく様もとても理解し易くなっています。

 薩摩切子というのは、その美しさもさることながら、眺めているとこう……元々幕末と言う時代への思い入れが結構あるので、そちらにも意識が向いてしまって、篤姫の輿入れ道具などを眺めていると、何とも切ない気分になります。幕末と言う時代自体に、一瞬のきらめきといったイメージがあるからかも知れません。
 何気なく立ち寄ったサントリー美術館でしたが、この美術館はいつも満足させてくれるイメージがあります。お時間ありましたら是非。
posted by HOSHINA Shiho at 03:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術展 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ルーヴル美術館展 美の宮殿の子どもたち

 この春、東京では2つの『ルーヴル美術館展』が開催されている訳ですが、今回は国立新美術館で開催されているルーヴル美術館展 美の宮殿の子どもたちに、やっとこさ脚を運んで参りました。因みに西洋美術館で開催されている方に行ったのは3月ですから、既に1ヶ月以上開いてます。
 ゴールデンウィーク中だしお天気だし、(西洋美術館の方は3月でも凄い人出だったし)こりゃ相当列ぶかな──等と覚悟して行ったのですが、意外にも入場はあっさり。

 さて。こちらの展覧会は、西洋美術館の展覧会と比べると出展作品数は倍以上だったのですが……正直なところ、インパクトは西洋美術館の方が上でした。ティツィアーノやルーベンスなどの有名画家の作品もあったのですが、う〜ん……こっちはあくまで数で勝負って感じ。
 印象に残ったのはフランソワ=ユベール・ドルエの《三角帽をかぶった子ども》。といってもこれが印象に残ったのは、余りにも子供らしからぬ憂いのこもった瞳の所為。デュショワゼルという作家の《アモール》像も、子供ながら知的な表情で心惹かれました。う〜ん……どうやら私は子供っぽくない表情をした子供が好きなのかも。
 あと、ル・ナン兄弟(どちらが描いたかは不明)の《幸福な家族(旧名称:洗礼からの帰宅)》は、西洋美術館での記憶も相まって「あ、こっちにもル・ナン兄弟の作品出てるじゃん!」って感じで、ちょっと得した(?)気分になりました。

 う〜ん……。作品数は多いものの、素描から彫刻、工芸品にミイラまで──とジャンルが多岐に渡り過ぎた為か、余り焦点が定まらない印象の展覧会といった感じかな……。「子ども」って斬り口は結構難しいのかも。去年の同じ頃に観た『ウルビーノのヴィーナス』展なんかは、「ヴィーナス」にテーマを絞っていたけれど、これは結構面白かった印象が残ってるんだけどな。単純に「子ども」だけだと広すぎるのかも。
 余り混雑もしていないので、「一度、国立新美術館に行ってみたい」という方にはお勧めですが、個人的にはこっちよりは西洋美術館に2回脚を運んだ方が満足感は味わえる気がします。
posted by HOSHINA Shiho at 01:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術展 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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