2009年02月22日

「知恵と勇気」かそれとも「カネ」か。

 組織が大きくなり安定志向が頸を擡げてくると、それまでは「知恵と勇気」で手に入れようとしてきたものを、「カネ」で手に入れようとするようになる。その方が楽だから──ではない。全くそうでないとまでは言わないけれど、本質的な理由はもっと別にある。要は、その方がリスクが少ないからだ。手に入れたものを、喪う訳にはいかない。
 けれど、それに耐えられない人間は、「知恵と勇気」を必要とする新たな地を求めて、敢えて不安定な世界へと踏み出す事にすると云う。そして安定の中に安住し始めた我々に云うのだ。
「当時は大変だったけれど愉しかったね」
 残される人々は肯く。
 果たして、その瞬間に。
 遺される我々には、「カネ」で安定を購う道を選んだのだという自覚が芽生える事になる。

 ハテ、我々は何がしたかったのだろう。

 我々は安定を得るために、「知恵と勇気」を振り絞って来たのではなかったか。
 我々は清濁併せ呑みながら、これからも粛々と安定への途を歩まねばならぬ。
 螺子ならひとつくらい抜けても仕組みは動く。しかし、歯車が抜ければ仕組みは停まる。だが、歯車はカネで買えるのだ。ならば交換すれば良い。


 とまぁ、職場を去る人の送別会の終わり、旧い人間ばかりが数人残った中で、そんな話になった。子供の頃に観た『機動警察パトレイバー』には、「『知恵と勇気』でしのげ、何とかなる!」って台詞があったんだけどなぁ。どうやら、安定が視野に入ってくるようになった時点で、その言葉はもう、我々の味方にはならないようである。大人の世界で繰り広げられる少年漫画は、所詮は少年漫画という事か。
 理想に殉じる事が出来るほど強い人間になれない自分。そんな自分を揶揄するが故に、今でも理想の具現を追いかけて、ロボットアニメや時代劇を熱狂的に観るのだけれど。
 こういう矛盾から敢えて眼を逸らす事のできる人間だけが、安住の地を手に入れられると云うのなら──これほどに、残念な事はない。
posted by HOSHINA Shiho at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々是雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月21日

ジョン・ノイマイヤー芸術監督就任35周年記念 ハンブルク・バレエ 2009年『人魚姫』

 さて。過日、詳細は後ほど──などと書いて何日過ぎたのか数えたくもないですが(苦笑)12日にジョン・ノイマイヤー芸術監督就任35周年記念公演、ハンブルク・バレエ団の『人魚姫』を観に、NHKホールまで行って参りました。この日は、『人魚姫』の正真正銘の日本初公演の回だった事もあり、入口には「大使館関係者受付」の看板も。外国人の観客も結構多い印象でした。
 今回のツアーでは『椿姫』の再演もあったそうなのですが、これは1997年の日本初演の時の公演を観ているのでとりあえずパス。(金銭的な事情以外の何物でもありませんが。)とは言え、パンフレットを購入したところ、『椿姫』にはヨハン・ステグリが出るとの記載もあり……。彼は服部有吉の舞台にも登場してるとあって、日本でも割りとお馴染みな存在だし、これはこれで観たかったかもなぁ。
 ま、そういうの言ってると切りがないけど。

 さて、今回の『人魚姫』は何と生オケ演奏。開演時刻になってまず始まったのはオーケストラの音合わせでした。因みに、この作品は全二幕だったのですが、休憩を挟んで二幕目が始まるときもやっぱり最初が音合わせで、休憩中に点でバラバラに音を奏でる楽器をBGMにしてロビーでワインを呑んでいる人々の姿と言い、きっちり着席した観客を前にして始まった音合わせと言い、色々な意味で新鮮でした、私には。

 人魚姫役を演じたシルヴィア・アッツォーニは身長が驚くほど小さくて……。今回の舞台にはなんと歌舞伎に出てくる黒子がいて、アッツォーニが人魚の間は、3人の黒子が彼女の体をリフトして(この表現合ってるのか……。)波にたゆたう魚の尾をも表現しているのですが、まぁ、この黒子と衣装のお陰もあってか、人魚を演じている間は、彼女の小さい感じというのは余り気にならないのです。それが、彼女が魔法使いから貰った薬を呑む事で尾が剥げ落ちて人間になる瞬間や、特にその後、人間になっしまってからは、上手く歩けない事や、王子と結婚できない事などがどんどん彼女を卑屈にしていく様が、その身長の小ささ故に倍増されて引き立ったというか……そんな風に感じました。これが王女役のエレーヌ・ブシェだと、ちょっと難しいんじゃないかしら──などと思ってしまうのだけれど、確か15日の公演の配役では、ブシェが人魚姫なんだよなぁ。どうだったんだろう。15日を観た人の感想とかももっと聴きたいなぁ。他の方のレビューも少しだけ拝見したのだけれど、これは賛否両論なのかな。
 アッツォーニ演じる人魚姫は、人魚の頃は本当に美しく活発で華があって、観ている側としても「なんてパワフルなお姫様なの」と思えてしまう程。けれど人間になってからは全然無様で……というか、無様に見せてて。その、醜く見せる技術、そして演出が非常に衝撃的でした。巧い人に、非常に姿勢の悪い姿で舞台に立たせる。人間のドレスが、全く似合って見えない。その劇的な差がアッツォーニの技術によるものなのか、それともノイマイヤーの振りによるものなのか、まぁ多分両方ではあるのだけれど、とにかくこの日の人魚姫は圧巻でした。
 その他にも、魔法使いも顔に歌舞伎役者のような隈取があって、元々ノイマイヤーの演出自体が前衛的ではあるのだけれど、この人は割りと日本趣味というか、日本の舞台演出を結構取り入れてる感じが判ります。人魚が人間になる瞬間の演出なんかも、舞台で幾重にも衣装を脱いでゆく様など、個人的には驚きの嵐。
 カーテンコールではダンサーらと共に、オーケストラのソリスト(コンサートマスタかも。)、コンダクタ、そしてノイマイヤーも登場し、特にノイマイヤー登場の際には、場内割れんばかりの拍手に包まれました。

 私は元々、男が描く女々しい物語が大好きな質で、それは今回のアンデルセンの『人魚姫』然り、デュマ・フィスの『椿姫』、オスカー・ワイルドの『幸福な王子』、極め付けには平井堅の描く歌詞なんかもストライクゾーンだったりします。(笑)なので今回、この作品を観に行くのは必然だったのだけれど、今月はバレエ好きな人には大変だっただろうな。他にも日程被ってたのあったみたいだし。
posted by HOSHINA Shiho at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサート・公演 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月17日

もう一度、「最後の『ボレロ』」を。── ベジャール追悼特別公演シリーズV ベジャール・ガラ(BlogPet)

志穂の「もう一度、「最後の『ボレロ』」を。── ベジャール追悼特別公演シリーズV ベジャール・ガラ」のまねしてかいてみるね

9日にし、矢張りそれだけコールドも言える女性の女性)が出来たなら、踊りを物語っているみたいだ♪
でも、結構だと銘打たれ続けるしたとも言える女性)という事になります!
以前に思いますから、オペラグラス持ってくるの圧倒が全く出て。

*このエントリは、ブログペットの「ねりな」が書きました。
posted by HOSHINA Shiho at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月13日

もう一度、「最後の『ボレロ』」を。── ベジャール追悼特別公演シリーズV ベジャール・ガラ

 9日にモーリス・ベジャール追悼特別公演、東京バレエ団ベジャール・ガラに行って参りました。
 と、言っても。以前にも話した事があるかもしれないけれど、実は私、正直なところモーリス・ベジャールという振付師の創る振りが苦手です。(断言。)難解なのだ。何しろ、以前観た『ドン・ジョヴァンニ』には、主人公であるドン・ジョヴァンニが全く出てこなかった。それだけでも、この人の創る作品がいかに前衛的であるかを物語っていると言うもので。
 それでもあえて今回出掛ける理由があったとしたなら、矢張りそれは、今回限りの復活と銘打たれたシルヴィ・ギエムの『ボレロ』。勿論、2005年の『シルヴィ・ギエム 最後の「ボレロ」』も、観に行きはした──のだけれど。何しろあの時の私は、左の目が視えてはいなかった。
 だからもうずっと、できれば両の目が視える時に、ギエムのボレロが観たかった──と。そう、思っていたのだ。だから今回の公演はある意味渡りに船で……勿論、追悼公演だから、そういう言い方はとても失礼ではあるのだけれど。それでもとても、楽しみにしていたのだ。
「ギリシャの踊り」
 以前にも観た事のある作品。ベジャールの象徴的で前衛的な側面を物凄く色濃く出していると言うか……ある意味、とても苦手な作品です。音楽は素敵で好きなのだけど。苦手意識があるだけに、できれば割と好きなダンサー──上野水香が出ていて中島周のソロがある回──を観に行ければ良かったなぁ、とも思ったのですが、それを選択すると首藤康之が観られないという事で、チケットの購入時にちょっとした葛藤がありました。結局(特に上野水香に関しては完全に)諦めた訳ですが。
 因みに隣の席の女性は、舞台無視して物凄い勢いで眠ってました。まぁ、ギエム目当てで他の演目はどうでも良かったみたいだけど。

「中国の不思議な役人」
 この作品、原作のストーリィは割と好きなんです。(笑)頽廃的で、結構好みなストーリィ展開なのですが──何しろベジャールの手にかかると、その話の主人公が出てこなかったりしますから、この作品も一体どうなる事か……とも思いつつ、中国の役人は首藤康之が演じると言う事で、ストーリィは比較的忠実なのかな、等と期待してもみたのですが。
 しかし、そこは逆の意味で期待を裏切らないベジャール作品──と言う事で、ミミ(主人公とも言える女性)は思い切り男性が演じておりました……。しかも役名は『無二の無頼漢』。何故そうなる。本来は臆病な女性のはずなのですが……。そして、そんな彼女を演じたのは宮本祐宜でした。
 しかし首藤康之と言い、宮本祐宜と言い、踊りが大きい。ふたりだけ別世界にいるみたいでした。ホント、あれだけコールドが大人数いるのに、とにかく目立つ。特に首藤康之に関しては、2006年に『HS06』を観た時にも、外国人と並んで尚、強烈な存在感があったのですが、今回も別格でした。この話における彼は何度も殺される役ですし、その度に不気味に起き上がってくるのがまた──この回選んで良かった。不気味で最高でした。

「ボレロ」
『ギリシャの踊り』の時にはがっつり眠っていた隣の女性ですが、『ボレロ』になった途端、オペラグラス持って大暴れ……。興奮するのは結構だけど、腕の動きが視界に入ってきて大変不快でした。機嫌良く眠り続けてくれてれば良かったのに。お父様(パパだったのかも)がご一緒だったのに注意なさらないし……全く。別に、オペラグラスを持っている人が不快だと言っている訳ではありません。そんな方は沢山いらっしゃいます。暴れなきゃ良いんです。
 さて。
 ボレロというのは約15分の曲ですが、この演目の恐ろしさは、この約15分の間、観客の視線が緋い円卓で踊るただ独り注がれ続けると言う点にあると思います。良く観るとコールドもかなり壮観(クライマックスでは、コールドの男性全員が円卓の周囲に集まって激しい踊りをするのですが、これがまた誰一人指一本ぶつからない訳です。これって凄い事だと思うんですけど。)なのですが、何しろスポットライトは究極的に円卓の上を照らし続けるし、曲はずっと同じパタンの繰り返しで休む部分がありません。しかも、クライマックスは一番最後。こんな意地の悪い音楽と意地の悪い演出って……とか思うのですが。
 でも、だからこそ、ベジャールの振付ける『ボレロ』という作品を完全に踊り切る事のできるダンサーは素晴らしいのだと。そう思います。
 そんな訳で、シルヴィ・ギエムという世紀の天才ダンサーのボレロを再び、しかも本当の最後の回を観る事が出来たことを、とても幸せに思います。拍手することも忘れる程の圧倒が、そこにはあって。
 今度こそ、観ましたとも。ギエムのボレロを。
 そんな感じで、9日にはモーリス・ベジャールの作品をがっつり観た訳ですが、12日にはベジャールの系統を引く振付家であるジョン・ノイマイヤーの舞台を観る事になります。(というか、もう観てきた。)
 という訳で、その辺もまた後程。
posted by HOSHINA Shiho at 00:50| Comment(1) | TrackBack(0) | コンサート・公演 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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