2006年04月19日

結論は、ない。(BlogPet)

ない と話していたものの、蓋を開けてみればメキシコの踏ん張りの「何某(なにがし)」」 という記事のコメント欄で、我々の税金で喰ってる文部科学大臣様のような極端な例を言えば人種差別は致し方ない、そういう感情に対する自覚は必要だと思うのですよ 志穂が、資格とかをモンゴロイドしたかったのだと思いつつも 今日の記事ではなく、我々の税金で喰ってる文部科学大臣とか、愉しく視えずに恐ろしくなる *このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ねりな」が書きました。
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2006年04月16日

Alexei Yagudinの『Overcome』

 ヤグディンを識らずしてプルシェンコを語ること莫れ、そしてその逆もまた然り――なんて言うつもりは毛頭ないけれど。識ってた方が、プルシェンコの事も、ヤグディンと言う選手の事も、知らないよりは遥かに愛せるだろうとは思う訳で。
 プルシェンコ派を気取っていた私がヤグディンの引退を知った時、最初に思った事を言葉にするなら「これでヤグディンはもう二度とプルシェンコに負ける事はないって訳だ」だった。それは言い換えれば「プルシェンコは今後永遠にヤグディンに勝つ事ができない」という意味でもあり、ヤグディン引退の詳細を知ろうとしなかった私に、その事実は複雑な口惜しさだけを残した。
 その頃の私は、プルシェンコが輝く為にはヤグディンの存在が必要不可欠だったのに――と、そんな風に思ったのだ。でも、それだけ。
 しかし今思い返すと、ヤグディンの引退を待っていたかのように採点方式も変更になって、ソルトレイクからトリノの間に、本当に時代が一区切りしてしまったように思う。彼の存在は何だか象徴的だ。

 さて。そんな訳で今回読了したのは、五輪前後からこちらを読んでくださってる方々からは「今更かよ!」と総突込みを受けそうな、ソルトレイク五輪フィギュアスケート男子シングル金メダリストのアレクセイ・ヤグディンの自伝『フィギュアスケート オリンピックチャンピオンストーリー オーバーカム』。彼の子供時代から、五輪金メダルを経て、アマチュア競技を引退する日までの事が綴られています。ロシアの選手なのに日本語訳本が先行して出てるのは、監修とカメラマンが日本人の方だからでしょうか。運が良いですね。内容は物凄く駆け足で、ヤグディンという選手を好きになったのが本当に遅い私でさえ耳にする機会のあったエピソードの、半分も語られてはいないような気がします。が、それでも厚いし、文字はかなりみっしり。五輪で金を獲って引退するまで如何に壮絶な生活を強いられたか、想像に難くないというものです。読み進めるにつけ、その神経の細さにも驚かされるし、それが故に、あんな状況に追い込まれて、よくもまぁ発狂せずにいられたな……とも思ってしまいます。(それに近い事は起こしているけれど。)この本に収録されたヤグディンの写真を撮影したカメラマンの方のコメントの中に、ヤグディンのこんな台詞が出て来ます。
「あの当時の緊張感を思うと、今こうして健康でいられる事が奇跡だと感じます」
 数時間で読み終わるこの1冊の本を読んでるだけで、彼に立て続けに起こった色々な出来事に驚かされるというのに、それに伴う苛烈なまでの緊張が365日24時間、あの2003年のスケート・カナダの引退セレモニーを迎える日まで延々と続いていたのだと思うと、そんなのは想像するだに恐ろしい。それでも彼は、アマチュアを引退した今日も滑り続けている――。う〜ん、既に現時点で奇跡を観てる気がしてきたぞ。(笑)もっとも、世紀の天才と謳われたヤグディンとプルシェンコが同じ国、同じ時代に同じコーチの元に集った時点で、それこそ天文学的な奇跡だと思って来たけれど。
 そしてプルシェンコが大好きな私は、スケート大国ロシアで、あの時代を共に戦ったヤグディンにもアブトにも取り残され、この4年間祖国の期待を一心に受け、その重圧に耐える事を強いられた彼を思ってしまうのだ。ロシアはこれからどうなるんだろう。今の若手は、旧ソ連の頃を知らない世代なのではないだろうか。そうだとしたら、ヤグディンやプルシェンコとは、経験してきた事も、考え方も、少しずつ差異があるのだろう。愛国心もまた然り――。
 この本、日本語訳されてるくらいだから、日本人スケータもそれなりに語られているのかと思いきや、日本人の名前は、女子で初めてトリプルアクセルを跳んだ伊藤みどり、ヤグディンと同じタチアナ・タラソワに師事した経験を持つ荒川静香、そして彼と同時代を生きた本田武史くらいしか登場しないので、ひたすら荒川フィーバーに沸き、若手の躍進に歓喜する現在の日本では、余り一般大衆には受けないかもしれません。でも、長く男子シングルを見つめ続けてきたファンにとっては懐かしい名前も沢山登場するので、娯しめると思います。

 ワールド・フィギュアスケート21号に、昨年末の本田武史の引退に際し、ヤグディンが寄せてくれたメッセージにこんな一節があるので紹介を。
「時がすべてを解決してくれる。1年も経てば、彼(武史)も試合のことを忘れてしまえるでしょう。ぼくも同じでしたから」
posted by HOSHINA Shiho at 23:03| Comment(1) | TrackBack(0) | フィギュアスケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月12日

梅田望夫の『ウェブ進化論』

「次は小説を読もう」とか言っておいて、結局読了したのが梅田望夫の『ウェブ進化論』。この本、物凄いベストセラーのようなので、とりあえず読んでみたのですが、非常に感動しました。涙が出るくらい。ので、今日はその感想を少し。
 この著者である梅田氏は、「「ウェブ進化論」の梅田望夫氏が語る“Googleという隕石”」というインタビュー記事の中で、「日本の電機産業で、時代の大きな流れに最も敏感だったのはソニー」と語っているのだけれど、1998年頃だったか、当時SONYの社長だった出井氏が『Digital Dream Kids』という言葉を紡ぐのを聴いた時、私は余りピンと来なかった。でも、当時解らないなりにひとつだけ思った。「多分、その概念は(時代が)早過ぎるから、私には理解できないのだろう」と。SONYという企業が最初にCD(コンパクトディスク)を一般家庭向け技術として提案した時も、周囲はそれを「一般向けの技術にしては質が高すぎる」といったような反応を示したと聞いてたし。まぁそんなCDの技術も、既に廃れかかっている今日この頃ですがね……。
 だから当時、ニュース番組で出井氏が「本当は『(当時流行っていた)マルチメディア』という言葉は使いたくないのだが」といったような発言をするのを聞きながら、私はまた新しい概念が登場した事に注視し、これを聴き逃さないようにしないと次の10年の技術革新の波に乗り遅れるかも知れない、と思った。
 尤も、当時の私にとってその概念は到底難しすぎて、それが一般に普及するようには思えなかったけど。どちらにしても、この『Digital Dream Kids』という概念は頓挫し、出井氏はもうとっくに社長の座にはない。
 この『Digital Dream Kids』という概念自体が頓挫した単純な理由をひとつ挙げるとすれば、それは「そこにハードがなかったから」のように思う。主観だけど、SONYという企業の出発点は、そもそも「ハードを創る」というところにあったのではないだろうか。SONYの製品にはいつだって、ハードに対する付加価値がある。
 ただ、現在の私の感覚からすると、ハードの存在は横に置いておいたとしても『Digital Dream Kids』という概念は、矢張り時期尚早だったのだと思う。それこそこの表現は、当たり前にインターネットとケータイを駆使する、現代に生きる子供達に似合う言葉のように思うのだ。とすれば『ウェブ進化論』という、「あちら側」の世界を非常に解り易く紐解いた本が出たのが2006年だから、出井氏曰くところの『Digital Dream Kids』という概念の登場からは、ほぼ10年近い断絶が存在している事になる。
 繰り返しになってしまうけれど、ハードを造っている企業にとって、この概念の提言は諸刃の剣だ。失敗してもしなくても、喪うものは多大にある。それでいて、当時はそれこそ、得るものは未知数だった。ソニーが所謂「あちら側」へ渡るのを失敗してしまった理由として、これは決して小さな要因ではないはずなのだ。
 然るに、結局ブロードバンド大国である日本は、これだけ物が溢れていながら、どんどん物質的であるところの『物』に対する執着を喪う傾向にある。「CDを買わなくても、音楽はDLして聴けば良い」という考え方はその典型。私なんかは物欲が強いから、CDひとつ取ってもジャケット等の付帯品が気になって仕方ないのだけど、次の10年にはそんな考え方も古臭くなるのだろう。遅かれ早かれ、ハードの価値は落ち込んでいく運命にあった訳で、要はそれを予見したのが早過ぎただけなのである。
 ただ、ハードがなければソフトを動かす事はできないし、人間なんてのはそれこそ、肉体というハードウェアに極めて依存したソフト(脳)で動く仕組みになっている事を鑑みても、(まぁその辺りも、いずれは解消する時が来るのだろうけれど。倫理的な事を考えなければ、既に解消し始めているのかもしれない)物理的に存在する『物』に対する価値は過小評価すべきではないと思う。再生できるハードの現存しないソフトなど、存在価値はないに等しいのだから。日本は日本らしく、その辺りの拘りは棄てる必要はない。
 とは言え、だ。
 Googleという企業が造ったモノは、既にほぼハードウェアには依存していないし、「こちら側」にもない。『次の10年』と呼ばれる時代には、その流れは更に顕著になるのだろう。それこそ、電気の存在しない世界が既に想像できないのと同じくらいには。私には想像できない世界が、次の10年には横たわっているはずだ。
 既にソフトとハードの価値は逆転し始めて久しい。(何だか微妙な言い回しだ。)それも、日本の場合は都心部にその傾向が強いようだ。物理的に『物』が溢れている方が、ハードの価値の喪失が早くに起こり始めているというのは、ちょっと不思議な気がする。(その日の食べ物にも事欠くような状況であれば別だけど、日本の一般的な水準を鑑みた時)本来なら物質的な『物』の代替として、ソフトたる『モノ』に対して率先して価値を見出しそうなものなのに、何故かそれは起こらない。必ずハードの充足の次に、ソフトへの価値が叫ばれる。殊に、エスタブリッシュメント層と呼ばれる人々にそれが顕著な気がする。まぁ、彼らの場合は、単純に「あちら側」というより「ソフト」の概念が解らないのかも知れないけど……。でも、『次の10年』はそれを必ず凌駕するに違いない。そしてそれは「あちら側」の世界の価値が押し寄せる事によって訪れる。私が体感できていないだけで、既に、その現象は世界のあちこちで起こっているはず。誰もがそれを肌で感じられるようになった時には、既に世界は変わっているって感じだろう。だとしたら我々は、物質の溢れる豊かな先進国にいる事で、逆にそれを顕著に感じ取れない可能性が高い。

 とにかく。
 未来がちょっと楽しくなりそうな本なので、お薦め。
posted by HOSHINA Shiho at 02:42 | TrackBack(1) | 日々是雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月08日

シーズンが始まる前に。

カーン、ドイツ代表の正GK外れる…現役引退の可能性も(SANSPO.COM)

 カーンも遂にスタメン落ちかぁ……。これ、覆る事ってないのかなぁ。実はサッカーのドイツ代表チームのゴールキーパー、オリバー・カーンが大好きなのである。お約束なんだけど前回の世界杯でファンになって、写真集まで持っているくらいには好きだったりする。本音を言うと、日本代表より好きかも知れない。
 私は基本的にTVは地上波が頼りなので、ドイツチームの試合って殆ど観る事ができない。だから、ウェブで伝え聞くニュースばかりで詳しい事は殆ど知らないし、多くを語る事もできないのだけど――。
 今年って世界的なスポーツのお祭りが多いけど、本当にテンション上がったり落ちたりの繰り返しだ。そろそろ、ちょっと落ち着きたい……。いや、勝手に大騒ぎしてるのは自分だけなんだけどさ。
posted by HOSHINA Shiho at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々是雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月07日

シーズンの終わり。

静香、来季のGPシリーズ不参加(日刊スポーツ)

 荒川静香の去就というよりは、五輪のメダリストの去就――というのが、個人的に気になっている。フィギュアスケートの選手の場合、五輪でメダルを獲るとそのままアマチュア引退というパターンが多い。これは、将来的にアイスショウという生活の糧を得ていく為には仕方のない事で、特に驚く事ではない。今だから言うけど、グランプリファイナルの頃に浅田真央の五輪出場について否定的な意見を書いていた理由はこれで、もし万が一浅田真央が金メダルでも獲得しちゃった日には、そのまま真央は引退した方が良いよ、という流れになる可能性も否定できなかったからだ。15歳で引退は流石に勿体無いだろう、と思ったのである。実際似たような事例が過去にもあったし……。
「こうだったら」とか「こうであれば」とかって言いたくないけど、本田武史だって、もしソルトレイク五輪で銅メダルが獲れてたら、(世界選手権こそ出場しただろうけど)そのまま引退しちゃってたんじゃないかなって思ってる。本田のファンじゃなかった頃は「ソルトレイクで銅メダル獲って引退できれば良かったのにね」と単純に思ってたし、今は今で、やっぱり似たような事を考えつつ、心境は複雑だ。
 トリノ五輪は本田が行くと思ってたんだよね。去年の世界選手権はニュースだけしか観なかったのだけれど、高橋が五輪というのは、その時点ではちょっと有り得ないだろうと思った。まぁ蓋を開けてみれば、本田はこの大事な年に初めて国内の選手に負けて、出場すれば必ず優勝していた全日本のタイトルまでも喪って引退――と相成ったのだから、皮肉なもんだ。

 さて。今年の世界選手権も終わって、もう殆どの選手は去就を明らかにしているけれど、プルシェンコとスルツカヤに関しては未だにその辺りが見えてこない。彼らはまだアイスショウで忙しい時期だろうか。私はこのふたりの選手がとても好きだから、彼等がどうするつもりなのかとても気になる。荒川ファンも、きっと彼女に対してそういう想いがあるだろう。
 ファンとしては納得の行く答えを出して欲しいと思うけれど、それでいて、これからも彼らの選手としての活躍を願わずにはいられないという二律背反。
 でも、メダリストはまだまだ忙しい日々が続くようだし、その辺りが視えるのはもう少し先だろうか。ファンとしては微妙に落ち着かない時期が、まだ暫くは続くのかな……。
posted by HOSHINA Shiho at 23:57| Comment(0) | TrackBack(1) | フィギュアスケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月05日

プリンセス&プリンス・オン・ジ・アイス 2

『プリンセス&プリンス・オン・ジ・アイス 2』というCDを購入しました。フィギュアスケートでよく使われる楽曲を集めたコンピレーションアルバムなのですが、昨今のブームのお陰で、最近はこの手のアルバムが沢山出ているようです。ざっと確認してみたら欲しい曲もあったので、試しに購入してみる事に。ところでこのCD、「2」とついているくらいだから「1」(というより無印)もあるんだけど、こちらは特にこれと言って欲しい曲がなかったので購入せず。(敢えて欲しいものは既に持っていた)
 コンピレーションだから、収録曲に対するそれなりの不満もあって、例えば『トゥーランドット』は、先の世界選手権のサーシャ・コーエンの滑走時、あのフジテレビのアナウンサ塩原氏のお陰で、物凄くチープなイメージが付いてしまって聞きたくないし、(塩原アナの「もう誰も寝てはならぬ」の実況が脳内に流れて来て脱力してしまう……。選手の動きに対して言いたい事がないなら黙ってればいいのに)そもそも荒川の曲としてセレクトしたなら、ヴァネッサ・メイ(ヴァイオリニスト)の演奏でなければ意味がない気がしたり。『アヴェ・マリア』なら、以前バトルが使用している曲としてご紹介戴いた the East Village Opera Company というグループのものが欲しいし、『トスカ』も『星は光りぬ』の部分ならプルシェンコの使用楽曲としてのセレクトだろうから、やっぱりマートン(ヴァイオリニスト)が演奏しているものが良い訳で。同じ『トスカ』でも、本田が今シーズン使ってたものは誰の演奏か知らないんだけど……。
 などと、延々と御託を並べるなら何故購入したのか、というと。
 ボンド(女性カルテットグループ)の『ウィンターサン』が入っていたから。
 『ウィンターサン』と『ウィンター』ではちょっと違うみたいなんだけど、『ウィンター』という曲は、アレクセイ・ヤグディンがソルトレイク五輪で金メダルを獲った時の、ショートプログラムでの使用曲だ。実はずっと迷っていたのだ。『ウィンター』の為だけにボンドのアルバムを1枚買うのもどうなのか、と。こう、今となってはヤグディン派とかプルシェンコ派とかないだろうとも思うけれど、一応当時プルシェンコ派だった身としては、ヤグディンの為にお金を使うのが微妙に口惜しかったというか……。今はヤグディンも本当に好きになってしまったけれど、ちょっと前まではフィギュアスケートに対する熱狂もここまでではなかっただけに、逆に無駄に安っぽいこだわりがあったのだ。「ゲストがヤグディンなら、別に会場に足を運んでまで観に行かなくて良いや」みたいな。今にして思うと馬鹿だな私……。ヤグディンの場合は特に、後どれくらいの猶予が残されているのか――本当に、判らないのにね。
 CDの話に戻しましょう。他には、ハバロッティの『カルーソー』が入っていたのはポイント高し。これはプルシェンコのトリノ五輪エキシビションで使われた楽曲ですね。あとは『死の舞踏』。これはスルツカヤのショートプログラムの曲。でも、これもマキシム(ピアニスト)の演奏のものではありませんでした。

 総評。欲しい楽曲は、やっぱりそのアーティストのCDを購入した方が良い。(断言)1枚のCDなのにイメージがバラバラで、ちょっと変な感じ。それにきちんと聴くと、やっぱり演奏するアーティストが違うとイメージも違うみたいだし。決して耳が利く方じゃないんだけど、選手達の滑りとイメージが被ってるからか、些細な違和感が拭えない。
 フィギュアスケート音楽の理想的なコンピレーションは、その選手が使った楽曲をひとまとめにしたCDだと思う。これなら、選手が使用した楽曲を(アーティストも踏まえて)きちんと収録していれば、違和感ないはずだ。(高望み。)
posted by HOSHINA Shiho at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | フィギュアスケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月03日

The Happy Prince

 昨日本屋で、『幸せな王子』という絵本を見つけた。オスカー・ワイルドの『The Happy Prince』の新訳版だそうで、エリック・カール(『はらぺこあおむし』の人。実家にはこの絵本が5〜6冊はある。読みすぎて本が壊れてしまうのだ。)を髣髴とさせるような不思議で綺麗な絵に、とりあえず手に取って内容を確認。私はこの『幸福な王子』(新潮文庫版のタイトル)という童話がとても好きなのだ。一番好きな童話を聞かれると、いつも『人魚姫』か『幸福な王子』かで悩む。
 そんな訳で内容は良く知っているので、一番大好きなシーンの和訳を読む。



 即、購入決定。

 購入に至るまでの衝撃は非常に伝え辛いので、行間で察してもらうとして。(笑)
 この新訳版、まず、訳が新潮文庫版より好み。あとイラストがとっても素敵だ。特に一番最後の『金の楽園』と題されたイラストが、綺麗なんだけど哀愁を誘う。劇的なタイミングで挿入されている。帰宅してから一通り読んだのだけど、元の話が大好きな事も相まって、半分以上泣きながら読んでしまった。
 ということで、まだ『幸福な王子』が未読なら、リトルモア刊の『幸せな王子』をお勧めしたい感じです。でも、帯についていた推薦文は要らないと思う。良い大人が『幸福な王子』のストーリィを全く知らないと言う事はないと思うし、余りにも無粋で興醒めだ……。
posted by HOSHINA Shiho at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々是雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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